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1937年 報道部のアドバルーン作戦2

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/06/07 18:51 投稿番号: [1695 / 2250]
西岡香織著   『報道戦線から見た   「日中戦争」』
195〜196p


《 終戦の翌昭和二十一年末から始まった日本初のクイズ番組、 「話の泉」   の

解答者として評判をとり、タレントの走りと言われる堀内敬三であるが、

上海事変ではアドバルーンの組み立てに苦労したというのも、面白い話である。



翌二十八日   「日軍到蘇州河」   を萬歳館屋上から掲揚し、

十一月六日朝には   「日軍百萬上陸杭州北岸」   を同館上に掲揚した。

「百万」   は大軍の意味であるが、

「結果的に見て、この文字が一番評判よく、アドバルーン宣伝中の白眉であった」。



また、これを上海西郊に運び、蘇州河対岸の敵前にも掲揚したところ、

「敵は怒ったの怒らないの、六日の午後五時であったが、

銃砲の猛射間断なく、浮揚三十分位にして、惜しいかな撃墜された」。


しかし   「この気球浮揚は、邦字紙、外字紙、華字紙、ラジオ等によって

大々的に報道され、敵はこれがために大恐惶 (きょうこう) を来たし、

遂にその退却を早めたとまでいわれている」


報道部員や職員はこの後も連日のようにアドバルーン造りに励み、

支那軍側の負けても勝ったとするデマ宣伝を押さえ込む効果を挙げた。

まさにアドバルーンは報道部の新兵器となったのである。



新聞記事

《〔昭和12年11月8日   東京日日(夕刊)〕   〔蘇州河畔にて六日伊藤   (実)   特派員発〕


六日、我が上海戦線においては前面の敵の動揺を尻目に全戦線にわたり

軍歌の夕を催して、敵の度胆を奪う豪華陣を布いた。

「日本軍百万、杭州湾に上陸す」   と大書したアドバルーンが敵前線の真上、

わが○○部隊の屯   (たむ)   ろする蘇州河中央造兵廠付近の空に揚がった。

六日正午、軍報道都では本社選歌   「進軍の歌」   と   「露営の歌」   を皇軍陣地に

自動車で配布し、蓄音機から拡声器で新戦場に時ならぬ壊しの軍歌調を放送した。



空には雨雲を衝く友軍飛行機の爆音、地上には彼我の砲声殷々たる中に流れる軍楽に、

稲田から綿畑からクリークから、われ勝ちに飛び出す兵隊さん達、

炊事をやめて立ち上がるもの、病床にあるもの、負傷の足を引きずり、

戦友の一局にすがって来るものなど、拡声器の傍 (そば) は黒山のようにいっぱい、

中にはすでに覚えた歌詞に戦闘帽を打ち振り、指揮者気取りの音頭を取るもの、

泥濘もものかは軍靴の音も爽やかに寄贈の歌詞を手に合唱、

アンコールアンコール、夕闇迫る頃まで歌い続けられた。



特に   「露営の歌」   は勇士の実感をそそり、

感極まって次の攻撃に武者振るいする勇士も多数あった。

この間、敵は我武者羅に砲弾を降らせたが、いたずらに我が士気を鼓舞するのみ、

軍馬の嘶   (いなな)   きとともに我が勇士の合唱は江南の空を圧し続けた。》
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