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1937年10月 中国軍 蘇州河の南に後退

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/06/02 14:07 投稿番号: [1685 / 2250]
戦史叢書   『支那事変   陸軍作戦1』   380p


《 二十六日、軍は大場鎮を攻略し、滬寧鉄道を遮断し、

二十七日、蘇州河の線に到達した。

・・・

一方、海軍陸戦隊は27日に閘北   (ざほく)   一帯を占領し、掃蕩を完了した。》



*   陸戦隊を攻撃していた八十七師や八十八師は蘇州河の南に後退しました。



383p
《「中国軍の記録   ―   淞滬付近の戦闘   (二)   『抗戦簡史』」


次いで   (10月)   三〇日新芤鎮以南で抵抗を継続した。

この際、わが方の撤退掩護の任務をもって閘北四行倉庫を死守する

八百の勇士はついに孤立となったが、命により撤退し

かつ英国の好意により租界内に退入した。》



*   蘇州河の南に逃げたからと言って戦争をやめたわけではありません。

   日本軍の占領地の周りは全部中国軍が包囲しています。

   彼等は外国人の協力を得て、戦争を続けます。



西岡香織著   『報道戦線から見た   「日中戦争」』   91pには


《 蘇州河以南、両租界住民の九十%以上は支那人であって、

中には抗日に燃える分子も多かったので、租界当局が口にいう中立の守れる筈がなく、

支那軍人は便衣に変じ租界内に於て作戦に関係ある仕事に従事し、

観測所や信号所を設けていたことも認められる。



租界の住民は陣地を築いたり、軍隊のために糧抹や弾薬を補給運搬し、

又各病院には支那軍の戦傷者が充満したのであるが、

甚だしいのは、工部局の衛生自動車が弾薬や戦傷患者を運搬したと言うことである」

(馬淵『報道戦線』)》



*   とあります。

   そこで蘇州河の南へ行くため敵前渡河が行われる事になります。


つづく
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