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12月12日 唐生智 南京脱出

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/09/06 16:11 投稿番号: [168 / 2250]
宋希濂の回顧録『鷹犬将軍』より

十二日午後二時、防衛司令長官部 (唐生智) からわが師 (三十六師)
に対して、次のような指示があった。

①   下関から (長江を渡って、対岸の) 浦口 (ほこう) ヘのルートは、
   わが軍の唯一の交通路であり、あらゆる手段で秩序を維持しなければならない。

   従って三十六師以外の部隊将兵や逃亡兵などが勝手に集まることを厳禁する。

②   第七十四軍 (兪済時) は上河鎮で敵と戦っているが、城内との連絡は漢西門
   (鈴木氏注:漢中門、の間違いではないか) を通じて行い、

   七十四軍は、三サ河を渡って、下関に行くことを禁止する。

④   宋希濂部隊はユウ江門から下関に到る一帯に即時戒厳令を実施、
   一切の (他部隊の)活動を禁止せよ。

四時頃になると、七十四軍は三サ河に浮き橋をかけ、
下関に渡ろうとしたが、唐生智の命令によって、止められた。

(五行略)

午後五時、唐生智はもはや戦局が逆転出来ないことを認め、師長以上の将領を集めて、
分散して包囲を前面突破する計画を提出し、参会者にも異議はなく、

命令書が各人に配られて、会議は二十分で終った。

この命令によると、

①ユウ江門から下関の線を守っていた三十六師 (宋希濂) は、唐生智の長官公署の
   直属部隊の渡河掩護を行い、その実行完了後に、(三十六) 師が続いて渡河する。

②その他の部隊は、一切渡河することを許さず、すべて長官部の指定した方向、即ち、

   広徳 (十一月三十日、四川軍が放棄した地点)、

   宜 (ぎ) 城 (十二月七日、陳誠軍が放棄した地点)、

   蕪湖 (十二月十日、日本軍国崎支隊はこの地で長江上流を越え、ほとんど戦う
     ことなく十二月十三日には、下関の対岸、浦口の近くまで迫っていた)

の方向に向って日本軍の間を抜けて強行突破せよ、という内容であった。

ところが、わが方は第八十三軍 (広東軍、訒竜光) がこの命令通り、
棲霞山付近にいた敵軍の前を迂回して脱出に成功しただけで、

他はすべて下関に押し寄せ、勝手放題に船を求めて殺到した。

このことが、十二日夜、ユウ江門、下関一帯に極度の混乱を招き、
戦史の上でも稀にみる、一大悲劇を招いた原因になった。

(鈴木明著 『新 「南京大虐殺」 のまぼろし』 260〜261p)
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