1938年6月 高宗武との香港会談4
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/05/15 18:47 投稿番号: [1645 / 2250]
松本重治著
『上海時代・下』
中公新書
297〜298p
《 第四回目の会談では、撤兵に要する期間、撤兵地域の制限などの
具体的問題を話し合った。
「大軍を退くのだから、一年半や二年はかかる」
と私がいうと、
高君は、 「それは、そうだろう。 それに異論はない。 しかし、 撤兵は
盧溝橋事件以前の原状回復という意味に解していいかな?」
と問う。
「それは東京に行って影佐さんと話してみなければよく判らないが、
防共駐兵という名義で、華北の一部、蒙疆に近いところぐらいは、
一定期間に限り駐兵は已むを得ないかも知れないよ」
と私が答えると、
高君も、 「そういう名義で、しかも一定期間というなら、反対はないだろう」
という。
私が
「宗武、君と僕とがそれぞれ全権を委任されていたとすれば、
このように、すらすらと話がつくんだ。
中国側の態度を回想すれば王寵恵の三原則、 蒋作賓の三原則、
張群 ・ 川越会談での中国側の要望条項等、昨年七月に蒋介石のいったとおり、
中国の対日態度は一貫している。
日本側は、中国への要望が情況や戦況の如何によって、大幅に揺れている。
しかし、冷静に考えれば、日本側の要求には最小限度があるように思われる。
満州国の問題だって、しかつめらしく正式承認といえば、中国の面子問題となるが、
察するに、蒋さんは、満州国はくれてやってもいいが、
長城以南はいけないという基本的な考え方なんだろう?」
「そのとおりだ。今までのところ、それは絶対に間違いがない」
「宗武、だいたいの話は、これで判ったよ。
伊藤君が同道するといっているから、連絡してください」
「香港からの同道は困る。上海までは、別々の船で行く。
上海からは、伊藤君といっしょでいい。今さら逃げ隠れはしないから、安心してくれ」
「それでいいよ。では、僕は、ひと足さきに帰るから、
また上海と東京とで会いましょう」
というわけで、別れた。》
*
高宗武が
「いいだろう」
と言っている条件は、最初から日本が出している。
実は、彼らが過重と言った南京攻略後の和平条件の中にも入っていた。
日支媾和交渉条件細目
附
記
(一)
北支内蒙
及
中支ノ一定地域ニ
保障ノ目的ヲ以テ
必要ナル期間
日本軍ノ駐屯ヲナスコト
別紙
(二)
媾和ニ関連シテ廃棄スヘキ約定
一
梅津 ・ 何應欽協定、 塘沽停戦協定、 土肥原 ・ 秦徳純協定、
上海停戦協定
二
保障事項ノ解消
ト同時ニ
従来ヨリ有スル
対支特殊権益
(例へハ治外法権、 租界、 駐兵権等ノ如シ)
ノ廃棄ヲ考慮ス
これは メッセージ 1643 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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