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1938年6月 高宗武との香港会談3

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/05/14 18:48 投稿番号: [1643 / 2250]
松本重治著   『上海時代・下』   中公新書
294〜296p


《 翌日、同じ部屋で高君との第二回の会談をやった。

「昨日は、漢口の和平派の真剣な努力を聞き、また覚書について君の説明を聞いたが、

汪さんや周さんだって、対等の一定の条件なら和平しようというのだろう」

「そうだ」

「結局、万事は日本の態度如何によるということだろう」

「そうだ」

「高君の同志たちだって、傀儡政府なんかを作る考えはないだろう」

「そうだ」



「宗武、僕は、半年来、日本側の撤兵ということが和平問題の要だと考えてきた。

徐州作戦だって、日本は相当無理をしたのだ。

漢口作戦となれば、もっと無理をしなければ所要の兵力量には達しがたいであろう。

おまけに、ソ連という問題もある。徐州作戦直前にはソ満国境が

比較的平穏だと見当をつけてから、やっとあの作戦に踏み切ったらしいが、

ソ連がいつまでおとなしく黙っているという保障はない。



僕の考えでは、撤兵は、いずれは軍にとって現実の必要となるが、

あるいは撤兵の声明だけでも、中国の条件附和平派には、

元気が出るのではないだろうか」   と、私は、初めて撤兵論を出してみた。


すると、高君は、眼を輝かせながら、

「問題はそのとおりだ。   日本側が一定期間に撤兵すると声明すれば、

声明だけでも、和平運動は必ず成功する」   と断言した。



私が、

「和平運動の成否如何は撤兵如何に係わると僕は確信したい。   宗武、昨年の夏、

石原莞爾は、華北からの撤兵論を主張して、中央から満州に追い払われた。

しかし、僕は石原の考え方が正しかったと思う。

しかし、歴史上、撤兵ほど難しいものはないようだ。撤兵の声明だけでも容易でない。

だから、それには、一時蒋さんに下野してもらって、

汪さんが一時預かる、という条件はどうかね」



「蒋さんの下野はだめだよ」

「だめだと定めてしまわないで、少しゆっくり考えてくれないか。

蒋さんの下野声明が撤兵の唯一の条件だとすれば、蒋さんも考え直す余地はないかね」

「それはそうだが、蒋さんが下野したら、あとを収拾するものがない。

汪さんでは収拾できないからだ」

「困ったな。蒋さんの下野がだめなら、せっかくの撤兵案も取り消し、

和平連動も成功しない。となれば、戦争をやめる工夫もない。

何とかひと思案してくれよ」。高君は、しばし考えていたが、やがて口を開いた。



「では、撤兵を日本が声明する。それに応じて、汪さん自身が全国に和平通電をやる。

戦争をやめたいと思っている雑軍どもが、処々方々でそれに呼応する。

そうなると、蒋さんも長期抗戦ができなくなるかも知れぬ。

そのときは、責任をとって蒋さんが下野せざるを得なくなる。

汪さんが行政院長に復活する。汪・蒋の二人のあいだの腹芸で、暫くすると、

蒋さんが軍事委員長に復活して、事態の収拾を二人でやるというような

筋書ならば、どう思うか?」



「そういう雑軍は、どこどこかで」

「雲南の竜雲はじめ、四川、広東の将領たち、それに山西の闇錫山も考えられる。

みんな戦争がいやなんだからね」

「日本側の撤兵声明が起爆剤となって、汪さんを中心とする和平運動が全国的になる。

そうなれば蒋さんの下野もあり得る、というわけなんだね。

僕には、君の提案する筋書が相当手が混んでいるもので、

どこかで筋書どおりにならぬ箇所があるように思える。

例えば雑軍将領の呼応という点でね」



「君の心配するのももっともで、これからしかるべき手を打つ必要があるが、

不可能ではないと恩う」

「私の撤兵案も、君の筋書も、お互いに、当分は絶対秘密だよ。戦争の最中だからね。

宗武、とにかく、僕は東京へ行く。君も東京へ行かないか」

「じゃ、僕も行くことに決めよう」と高君がいった。

会合のあと、私は、伊藤君に電話して、高君が最終的に決意したことを伝えた。》


つづく
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