1937年 松本重治氏の和平工作
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/05/06 15:39 投稿番号: [1628 / 2250]
松本重治氏著
『上海時代 (下)』
中公新書226〜228p
《 九月の十八、九日だったかと思うが、久しぶりに、ホール=パッチからの電話である。
「ヒューゲッセン大使の事件の当夜、ロヴァット・フレイザー少佐と君と
三人で会ったとき、君は、あまりに恐縮してしまって、よく話もしなかったが、
事件があったとて、君との友情は変らない。
数日中には、東京で、事件の正式解決がみられるらしい。
シゲ、近いうちに、一夕、語ろうじゃないか」 云々の話。
私は、 「 エドモンド、それはありがたい。
君と二人で語り明かすのもいいが、実は、戦争が始まって、
中国人の誰とも没交渉になってしまった。
で、誰か、しかるべき人物を一人交えて、いっしょに話をしようじやないか」
というと、 「そうねえ、誰がいいだろうかね」 と、ちょっと考えたあげく、
「徐新六 (シューシンロー) を招ぼう。君はどう思う?」
「それはいい。IPRの会議以来、私は、ひそかに徐さんを尊敬しているんだ。
浙江財閥のうち、ほんとに英国やフランスでみっちり勉強をしたのは、
徐さんだけだからね。それに、何といっても、人間がいいよ。
胡適も、高宗武なんかも、徐さんの識見と人物とを高く評価しているんだ」。
五、六日経って、ホール=パッチのアパートで晩餐を共にするため
三人が集まったのは、九月二十三日 (金) であった。
私は、徐さんを相手に、一九三一年の上海・杭州での太平洋会議のことから話を始めた。
徐さんもあの当時のことどもを懐しげに語った。
ホール=パッチのご馳走は甘いには違いなかったが、
大場鎮を主たる根拠地としていた中国軍と日本軍との死闘が行われていた最中で、
葡萄酒の酔いが廻らないのが自然であった。
食後、徐さんが、戦争前の船津 (辰一郎) さんの和平努力を評価しながら、
「松本さんは仕事に忙しかろうが、戦況にかかわらず、誰か、日本人の方で、
私なんかと連絡をとる相手はないだろうか。秘密を守れる方で」 というと、
ホール=パッチは、 「それには松本君がいちばんいいよ」 と即座に提案した。
私が、 「こちらも徐さんのような方と定期的に連絡したいと考えていたのです。
微力ではありますが、私でよければ、何かのお役に立ちたいと思います」 と、
私の意中をもらすと、徐さんは、 「あなたのことは、周作民さんからも、
呉鼎昌さんからも、高宗武さんからも、始終うかがっています。
あなた自身がご承知くだされば、何よりありがたい」 といった。
そこで、ホール=パッチは、 「お二人の連絡場所はどうするつもりかね。
毎週の何曜日かに定めてくだされば、その日は、僕のアパートを空けておきましょう」
と好意的にいってくれた。私が、徐さんに、 「まだ、カセイ・ホテルでも、
お会いできるでしょう。毎週金曜日のランチは如何でしょう?」 というと、
徐さんは、 「そう、かえっておおっぴらでやってもまだ大丈夫でしょう。
毎金曜日の十二時十五分ごろカセイでお会いしましょう」 と応諾した。
私は徐さんが私を信用してくれた気持を、少なからず嬉しく思った。
次の金曜日 (九月三十日) からカセイ・ホテルでのランチの定期会合が始められた。》
つづく
《 九月の十八、九日だったかと思うが、久しぶりに、ホール=パッチからの電話である。
「ヒューゲッセン大使の事件の当夜、ロヴァット・フレイザー少佐と君と
三人で会ったとき、君は、あまりに恐縮してしまって、よく話もしなかったが、
事件があったとて、君との友情は変らない。
数日中には、東京で、事件の正式解決がみられるらしい。
シゲ、近いうちに、一夕、語ろうじゃないか」 云々の話。
私は、 「 エドモンド、それはありがたい。
君と二人で語り明かすのもいいが、実は、戦争が始まって、
中国人の誰とも没交渉になってしまった。
で、誰か、しかるべき人物を一人交えて、いっしょに話をしようじやないか」
というと、 「そうねえ、誰がいいだろうかね」 と、ちょっと考えたあげく、
「徐新六 (シューシンロー) を招ぼう。君はどう思う?」
「それはいい。IPRの会議以来、私は、ひそかに徐さんを尊敬しているんだ。
浙江財閥のうち、ほんとに英国やフランスでみっちり勉強をしたのは、
徐さんだけだからね。それに、何といっても、人間がいいよ。
胡適も、高宗武なんかも、徐さんの識見と人物とを高く評価しているんだ」。
五、六日経って、ホール=パッチのアパートで晩餐を共にするため
三人が集まったのは、九月二十三日 (金) であった。
私は、徐さんを相手に、一九三一年の上海・杭州での太平洋会議のことから話を始めた。
徐さんもあの当時のことどもを懐しげに語った。
ホール=パッチのご馳走は甘いには違いなかったが、
大場鎮を主たる根拠地としていた中国軍と日本軍との死闘が行われていた最中で、
葡萄酒の酔いが廻らないのが自然であった。
食後、徐さんが、戦争前の船津 (辰一郎) さんの和平努力を評価しながら、
「松本さんは仕事に忙しかろうが、戦況にかかわらず、誰か、日本人の方で、
私なんかと連絡をとる相手はないだろうか。秘密を守れる方で」 というと、
ホール=パッチは、 「それには松本君がいちばんいいよ」 と即座に提案した。
私が、 「こちらも徐さんのような方と定期的に連絡したいと考えていたのです。
微力ではありますが、私でよければ、何かのお役に立ちたいと思います」 と、
私の意中をもらすと、徐さんは、 「あなたのことは、周作民さんからも、
呉鼎昌さんからも、高宗武さんからも、始終うかがっています。
あなた自身がご承知くだされば、何よりありがたい」 といった。
そこで、ホール=パッチは、 「お二人の連絡場所はどうするつもりかね。
毎週の何曜日かに定めてくだされば、その日は、僕のアパートを空けておきましょう」
と好意的にいってくれた。私が、徐さんに、 「まだ、カセイ・ホテルでも、
お会いできるでしょう。毎週金曜日のランチは如何でしょう?」 というと、
徐さんは、 「そう、かえっておおっぴらでやってもまだ大丈夫でしょう。
毎金曜日の十二時十五分ごろカセイでお会いしましょう」 と応諾した。
私は徐さんが私を信用してくれた気持を、少なからず嬉しく思った。
次の金曜日 (九月三十日) からカセイ・ホテルでのランチの定期会合が始められた。》
つづく
これは メッセージ 1622 (kir**gotowa**me さん)への返信です.