1937年9月膠着状態の上海戦線1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/05/04 14:13 投稿番号: [1624 / 2250]
井本熊男著
『 支那事変作戦日誌 』
芙蓉書房出版
151〜152p
《第三師団主力は九月十七日までに、
前記九月九日の位置から右翼方面は約六キロ、左翼方面は約四キロ前進した。
一日四百メートル乃至は百メートルの前進である。
連続不断の激闘で、一面の敵陣地を、一枚一枚鱗を剥ぐように奪取しての前進であった。
第十一師団の天谷支隊は、大連に上陸することなく、
八月下旬青島東方の洋上で待機させられていたが、
青島上陸は行わないことに決定せられたため、
九月一日の大命で上海に向った。
同支隊は九月四、五日頃呉淞に上陸し、師団主力に復帰するため、
宝山城附近を経て前進中、九月七、八日頃月浦鎮周辺において、
頑強に抵抗する数線の敵陣を攻撃して多大の損害を出しつつ、
九月十七日、羅店鎮東南地区において第十一師団主力の左翼に近く進出した
(後に軍作戦主任参謀西原大佐の言によれば、
天谷支隊は上海上陸後十日間に三千四百名の兵力が九百名となった)。
その他第三、第十一師団主力においても、右九月十七日までの戦闘において
莫大な損害を出した。
上海の陣地攻撃間に、この両師団の歩兵は当初出征したものは
殆ど全部死傷し、補充員によって置き換えられた程であった。
これは日露戦争後、経験のない大損耗であった。
筆者の同期生で、中隊長として参戦した八名は、全員この戦闘で戦死した。》
*
天谷支隊が青島に上陸しなかったのは、居留民が引揚げたため、
上陸の必要性がなくなったから。
*
そして、上海の犠牲の多さは、派出した人数が余りに少なすぎた為と言えます。
これは メッセージ 1620 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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