1938年6月 満ソ境界線の視察1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/05/02 18:35 投稿番号: [1619 / 2250]
辻正信著
「ノモンハン秘史」
毎日ワンズ
32〜34p
《 空からの侵犯はソ連の先手で始められ、我もこれに対抗したが、
お互いに証跡を残さないのに反し、地上での越境は尺土
(せきど)
といえども
見逃されなかった。
頻々
(ひんぴん)
としてソ連歩哨や斥候
(せっこう)
巡察の満領内侵入が
第一線から報告せられ、その都度、我が監視隊との間に小競り合いが演ぜられた。
地図と現地との境界不明瞭な方面も少なくはなかった。
紛争は例外なしに、この不明瞭な、主張を異にする地域で起こっている。
東部正面が彼我主力の決戦と見られていただけに、界標の設置も他の正面よりは
厳格に行われていた。しかし、この界標は簡単な石標で地面を少し掘って
埋めた程度に過ぎないために、人力で軽易に動かし得るものも少なくなかった。
綏芬河と東寧は東正面の両方の玄関であり、それを繋
(つな)
ぐ意味において
中間の十八号界標が要点と見られていた。この方面の境界を直接点検する目的で、
綏芬河から東寧に至る距離を地図と磁石とを頼りに、
一直線に北から南へ踏破する計画を樹
(た)
てたのは、
空中から報復越境した直後であった。 現地の守備隊には偵察行動の概要を伝え、
掩護兵を出すようにと関東軍参謀長から電報してあった。
昭和十三年の六月上旬である。 単身まず綏芬河に行き、
駐屯する日本軍に連絡したところ、その連隊では何らの準備もできていない。
「連隊付の某中佐が
『辻という参謀は何を仕出かすかわからない。
あんな男に兵隊をつけてやると巻き添え喰うから知らん顔をしとれ』
と言って、関東軍からの電報を黙殺し、掩護兵一名さえも出さない」
とのことであった。
「よし。それなら結構だ。かえって五月蝿
(うるさ)
くなくてよい。
一人でいまから予定の通り地図上の国境線を一直線に南に向かっていく」
と電話で伝えた。
事が万一起こった場合、兵隊さんを射たれたり、怪我させたりすると始末が悪い。
このような荒仕事は一人に限ると、ほくそ笑みながら、一枚の地図と磁石を頼りに、
綏芬河から山を越え谷を渡り、林を潜
(くぐ)
りながら嵐を孕
(はら) む
国境線の直線コースを跋渉
(ばっしょう)
した。
道路を歩くなら訳はない距離であるが、路外の直線行進は容易なことではない。
一キロメートルを一時間もかかって、
その夜ようやく十八号界標西側の守備隊に一人で辿り着いた。
隊長は驚いていた。
「どうして一人で来られましたか」
と、さも不思議そうである。
「いや、第一線に信用がないもんですから掩護兵を出してもらえなかったのですよ。
一人がかえって気楽でいいですよ。明日もまた一人で行きましょう」
と、大笑いした。》
つづく
これは メッセージ 1599 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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