1938年6月 中国軍の黄河堤防破壊1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/04/29 15:28 投稿番号: [1613 / 2250]
児島襄著
『日中戦争4』
文春文庫
386〜388p
《 六月六日、北支那方面軍は、第十六師団と第十師団にたいしては
前日の進出位置での停止を命じ、
第十四師団には、予定どおりに中牟への前進を下令した。
第十四師団長土肥原中将は、それまで師団予備であった第五十九連隊を
第二十七旅団に復帰させ、旅団長豊嶋少将に中牟への
「追撃」
を命令した。
師団の開封入城式は、六日午後五時、北門からおこなわれたが、
同時刻、
追撃隊である第二、第五十九連隊は、豊嶋少将の指揮の下に西門を出て追撃した。
開封の陥落と第十六師団の尉氏西方への進出は、より一層に中国側の危機感を強めた。
漢口では、市民と政府機関の一部が避難を開始し、
蒋介石は、予東兵団総司令薛岳に電話で指示した。
「趙口決堤、着第三十九軍長劉和鼎負責、所有決堤部隊、統帰劉軍長統一指揮、
応立即加強力量、限於本(六)日二十時前達成任務、並派新編第八師長蒋在珍前往協助」
第三十九軍長劉和鼎に午後八時までに黄河を決潰させよ、
新編第八師
(蒋在珍)
を協力させる
−
というのである。
第三十九軍長劉和鼎は、総司令薛岳から蒋介石の命令をうけると、
ただちに現場にむかい、すでに作業中の第百三十師第七百六十六団と
第五十六師第三百三十一団を督励した。
堤防の破壊は、直径約十メートル、深さ約十五メートルの穴をいくつか掘り、
その底部を横穴で連結して爆砕する方法を採用していた。
このやり方なら、同じ爆薬量でも、一カ所よりも広い破壊口をつくれるからである。
だが、直径十メートル、深さ十五メートルの穴掘りは、簡単な工事ではない。
しかも、数カ所に掘って横穴でむすばねばならぬ。
第三十九軍長劉和鼎は、しきりに督促したが、蒋介石が指定した午後八時には、
なお爆破準備はととのわなかった。
第十四師団の追撃隊・第二十七旅団は、六月七日午後、容易に中牟を占領した。
中国軍の抵抗は弱く、日本側に死傷者はなかった。
その夜、中国側の三劉賽部落に近い黄河堤防の破壊準備が完了し、
第三十九軍長劉和鼎の指示で爆破スイッチがおされた。
夜空に鈍い爆音がひびき、黄河堤防に三本の爆煙がたちのぼった。
用意した三カ所の爆破口は、それぞれ二本のたて坑を連結させ、
約百メートルの間隔をおいていた。
計算では、一カ所約二十メートルの堤防が決潰し、やがて水圧で破壊口の
中間の土堤もくずれ、約二百メートルの破孔が形成されるみこみである。
夜空にたちのぼった三本の爆煙は、その計算の現実化を予告するものと思われ、
第三十九軍長劉和鼎は、作業部隊に退避を命じた。》
つづく
これは メッセージ 1611 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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