唐生智 「開城勧告」 を無視
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/08/24 21:30 投稿番号: [155 / 2250]
《早瀬利之著 『将軍の真実
南京事件
松井石根人物伝』 127p
*武藤章参謀副長と中山寧人情報参謀、公平匡武高級参謀、岡田尚の四人は、
午前三時、一台の車で蘇州の司令部を発った。
南京の中山門外に着いたのは、八時間四十分後の午前十一時四十分。
四人は、十二時五分、十分をすぎても、その場で待ちつづけた。
しかし、待てど暮らせど、軍使は姿を見せなかった。
武藤章参謀副長が、
「やっぱり駄目だったか。さあ帰ろう」 と、ため息をついた。
がっかりしたことと、眠っていなかったためか、武藤ら三人の参謀は、
帰りの車の中でぐっすり眠った。
ただ一人岡田は、翻訳のできが悪かったからではないか、と責任を感じ、
眠れぬまま八時間先の蘇州の司令部へ引きかえした。
児島襄著 『日中戦争4』 198p
司令官唐生智は、「大日本陸軍総司令官」 松井大将の投降勧告は無視し、
回答期限の正午がきても、軍使を派遣することはなかった。
−
その正午、
中支那方面軍参謀長塚田攻少将は、南京・中山路東方の前線で中国側軍使の
到来を待っていたが、城門がひらかれる気配はなかった。
方面軍司令官松井大将は、午後一時、下令した。
「支那軍ハ、我勧告ヲ
容レズシテ
依然
抵抗ヲ
続ケツツアリ。
上海派遣軍
並ニ
第十軍ハ、南京城ノ攻略ヲ
続行シ
城内ヲ掃蕩スベシ」
戦史叢書 『支那事変
陸軍作戦1』 428p
九日、方面軍司令官は、敵軍にたいし開城を勧告し、
十日正午までに軍使をもって回答するよう要求したが、これに応じなかったので、
方面軍司令官は十日十三時、両軍に、攻撃を続行し城内を掃蕩すべしと命じた。
西岡香織著 『報道戦線から見た 「日中戦争」』 96p
唐生智は、この勧告文を無視して頑強な抵抗を続けたので、
十日午後一時から日本軍は総攻撃を開始した。》
ラーベは日本が 「開城勧告」 をしている事を知らずに、
「三日間の停戦と中国軍の撤退」 日中両方に出した。
しかし蒋介石は拒否した。
そうなると、唐生智も 「開城勧告」 を受諾できない。
彼らは、ラーベの希望とは、逆の事ばかりやっている。
むしろ、日本の行動の方が、ラーベの希望に近い。
蒋介石や唐生智が、日本の勧告を受け入れて、無血開城し、指揮官のもと、
整然と降伏すれば、後に、「南京大虐殺」 と言われるような混乱は生じなかったのに。
中国側のルール無視のデタラメなやり方が、南京に地獄を作り出す。
*『松井石根人物伝』に、中山門外で中国軍軍使を待っていた人に
武藤章参謀副長とあったが、これは著者早瀬氏の間違いで、塚田攻参謀長だった。
中山寧人氏の東京裁判証言では塚田攻参謀長となっている。
(富士信夫著『「南京大虐殺」はこうして作られた』154p)
これは メッセージ 152 (kireigotowadame さん)への返信です.
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