徐州会戦が要求される理由
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/03/13 18:35 投稿番号: [1517 / 2250]
児島襄著
『日中戦争4』
文春文庫
294p
《 もし、黄河までという制約を守れば、すでに山東半島の根もとの青島をとり、
上海、南京をおさえているというのに、黄河の西と南の山東省の大部は空白となり、
中国軍は容易に進出するだろう。
しかし、徐州をおさえれば、第一軍の進出とともに隴海線が確保できる。
隴海線は、開封からほぼ直線に黄海岸まではしっているから、
黄河の東の山東省大部も管制できるし、中支那派遣軍とも握手できる。
いいかえれば、第一軍の黄河進出は、必然的
(?)
に東側面の確保を「必須」とし、
すかさず第二軍の南下による徐州作戦が「必至」になる……。》
井本熊雄著
『支那事変作戦日誌』
203〜204p
《 既述の如く、南京攻略後徐州を占領せよという意見は、各方面から盛んに行われた。
対支積極作戦を考えるならば、これは定石的な意見である。
前年七月支那事変勃発当初から、いわゆる拡大思想で行ったと仮定すれば、
徐州は既に初期の作戦で占領していたに違いない。
当初から北支とともに山東に兵を進めて膠済沿線を進攻し、
済南および徐州方面を占傾すべき策案は、多くの有力者によって唱えられていた。
徐州は、中原に鹿を争う者が必ず占領すべき戦略要点である。
この作戦の実行要領については、前記の如く、
南京占領後の方策を検討する段階で一応研究済であった。
それはまことに簡単なことで、北支および中支軍の各々有力な一部を以て、
南北から進んで徐州附近で手を握らせることで万事成就である。
その際大きな敵の抵抗はまず予想せられなかった。
しかし徐州作戦
(津浦線打通作戦といってもよい)
を作戦課長交迭後間もなく
行うことになれば、その理由を天皇に申上げて決裁を受け、実行するのに
少々バツの悪い思いをしなければならなかったと思われる。
それはいうまでもなく、既述の如く二月十六日に御前会議で決定せられた
戦面不拡大の方針を、舌の根も渇かない中にひっくり返すことになるからである。
ところが幸か不幸か、ここにはからずも事情変更ともいうべき状況が起った。
それは、済南方面から逐次南下して徐州近くまで達した我第二軍の一部と、
前面の支那軍間に戦闘が起り、支那軍は逐次に増加して約四十師、
四十万と称せられる大軍が徐州附近に集り、
我方が大打撃を与える好目標を呈したことであった。
児島襄著
『日中戦争4』
文春文庫
294p
《 第二軍参謀長鈴木率道少将は、 「作戦休憩」
方針である指導要綱が
決定された翌日、おりからエン州北西のブン上、南西の済寧が攻撃されたのを機会に、
第十師団
(磯谷廉介中将)
にたいして、これら地域の敵の
「撃攘」
を指示した。》
つづく
これは メッセージ 1515 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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