董道寧と影佐大佐
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/03/10 15:33 投稿番号: [1511 / 2250]
塚本誠著
『ある情報将校の記録』
中公文庫
263〜264p
《 影佐大佐は
「日華事変」
が華北で始まった直後八月、参謀本部の支那課長になり、
事変の不拡大を当時の参謀本部石原作戦部長と共に主張した統帥部内の一人であった。
ところが、志とはちがって事態は拡大の一途をたどり、
日本政府は昭和十三年一月十六日の
「爾今国民政府を相手にせず」
という
近衛第一次声明で蒋介石の国民政府を否認することとなり、
日中の関係はまったく泥沼に入ってしまったのである。
かねて影佐大佐はこの事態をどのようにして一日もはやく収拾するかについて
脳漿を絞っていたが、重慶と直接和平が望めない今日としては、
和平に熱意をもち、民衆の輿望
(よぼう)
を荷い得る人物が中心となり、
日本の和平主義者と協力し、運動を日中双方に拡大して、
日本政府、重慶政府ならびに日中の国民をして和平論に耳を傾けざるをえないような
情勢をつくり出すほかはあるまい、と考えていた。
たまたま十三年二月、元国民政府亜洲司の日本課長董道寧が
松本重治、西義朗、伊藤芳男の三氏の紹介で東京に現われた。
董が単身敵地に乗り込んだ情熱と勇気とに対し感銘を受けた影佐さんは、
密かに董と横浜で会見した。影佐さんは当時参謀本部第八課の初代課長であった。
董は、日中の衝突を速やかに打ち切るため何らかの工夫を講ずる必要があるといって、
日本側の理解と努力をもとめた。
董の所説には琴線に触れるものがあり、その情熱と至誠は影佐さんを動かした。
影佐さんは、全力を傾けて董に援助することを約束して、
参謀次長多田中将に一切を報告した。
董が東京を去るに当たり、影佐さんは自発的にかねて尊敬していた
蒋介石の信頼する何応欽、張群に宛てて書翰を認め、これを董に託した。
その手紙の中には、 「日華事件の解決は条件の取引というような方法では
根本的な解決がつくものではない。日本も中国も互いに裸と裸で抱き合わねばならん」
という意味を述べている。
影佐さんは一身を挺して日中解決に当たる決意を固めたのであった。》
これは メッセージ 1492 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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