揚子江方面 重慶居留民引揚げ
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/03/09 18:46 投稿番号: [1510 / 2250]
戦史叢書
『中国方面海軍作戦〈1〉』
286〜288p
《 七月二十日、従来比較的平静であった重慶に抗敵後援会が組織され、
情勢次第に悪化の兆しが見え始めたので、
同地在泊の 「比良」 艦長土井中二中佐は糟谷重慶領事と次のように協議した。
居留民の生命に脅威のない限り、できるだけ踏みとどまるのを原則とするが、
(1) 日支全面衝突の場合、
(2) 重慶の情勢悪化し引揚げを要すると判断する場合、
(3) 重慶は平穏であるが中・下揚子江沿岸各地の情勢悪化し居留民が引揚げた場合の、
いずれかの情勢に立ち至れば、時機を失せず引揚げを断行する。
・・・
二十一日朝、土井艦長は、谷本司令官から、重慶居留民 (当時二九名) に対しては、
随時、要すれば其の艦で引揚げ準備をなしおけ、との命を受け、同日糟谷領事と協議し、
居留民は発令後一〇時間以内に、日清汽船宜陽丸 (七月十五日から在泊) で
引揚げる準備を整えることとなった。
二十八日、外務中央部から糟谷領事あて、重慶居留民は情況により、
早目に引揚げよとの訓令があり、よって同領事は、居留民に対し、
とりあえず三十日朝までに家財を宜陽丸に積み込み、
その上で即時引揚げから形勢暫時観望かのいずれかに決定する旨、説明した。
そして、 「比良」 は引揚げ作業直接掩護のため、同日午後、嘉陵江に転錨した。
なお、この日夕方、重慶に中国軍大勝の報が伝わり、
市内では伝単及び爆竹などにより祝意が表され、以後対日感情は悪化の一路をたどった。
三十日 12:00 、 土井艦長は、槽谷領事と協商の上、
次の情況判断 (要旨) をもって、我が居留民を宜陽丸で全部引揚げることとし、
八月一日 04:30 、 「比良」 護衛の下に重慶発、宜昌を経て漢口回航に決した。
情況判断(要旨)
一 日中全面衝突は到底避けられない。
二 重慶の抗日気勢は次第に悪化の可能性がある。
三 当地で引揚げを感ずる時は既に時機を失し、下江の困難想像に余りあり。
むしろ事件発生前に一時引揚げる方が、民心も早く平静となり、再復帰が容易である。
二十九〜三十一日、糟谷領事は中国側の関係各官公署を歴訪し、
早期引揚げに至った次第を説明し、遺留財産日録を添えてその保護を要求した。
先方は、我が申し入れを快諾し、引揚げを安全にする各種処置をとった。
しかし、市内の情況は次第に険悪となり、
三十一日、市商会は日貨売買を禁止し、違反者に対し厳罰を加える旨の宣言を発した。
かかる状況下に重慶居留民総員二九名は、同日 18:00 宜陽丸に乗船を終えた。
八月一日 06:40 、 「比良」 は、同船を護衛して重慶発、
二日 16:30 宜昌仮泊、同地に残留した居留民一名を収容し、同日 18:00 宜昌発、
翌四日 16:00 漢口着、無事護衛任務を終了した。
なお、糟谷領事以下館員少数は漢口に上陸し、その他は、宜陽丸に乗船のまま、
翌五日 21:00 漢口発下江し、七日午前無事、上海に到着した。》
* 28日に 「中国軍大勝の報」 とありますが、これは例の 「南京嘘放送」 で、
通州保安隊が騙されたのと、同じ類 (たぐい) のものです。
つづく
286〜288p
《 七月二十日、従来比較的平静であった重慶に抗敵後援会が組織され、
情勢次第に悪化の兆しが見え始めたので、
同地在泊の 「比良」 艦長土井中二中佐は糟谷重慶領事と次のように協議した。
居留民の生命に脅威のない限り、できるだけ踏みとどまるのを原則とするが、
(1) 日支全面衝突の場合、
(2) 重慶の情勢悪化し引揚げを要すると判断する場合、
(3) 重慶は平穏であるが中・下揚子江沿岸各地の情勢悪化し居留民が引揚げた場合の、
いずれかの情勢に立ち至れば、時機を失せず引揚げを断行する。
・・・
二十一日朝、土井艦長は、谷本司令官から、重慶居留民 (当時二九名) に対しては、
随時、要すれば其の艦で引揚げ準備をなしおけ、との命を受け、同日糟谷領事と協議し、
居留民は発令後一〇時間以内に、日清汽船宜陽丸 (七月十五日から在泊) で
引揚げる準備を整えることとなった。
二十八日、外務中央部から糟谷領事あて、重慶居留民は情況により、
早目に引揚げよとの訓令があり、よって同領事は、居留民に対し、
とりあえず三十日朝までに家財を宜陽丸に積み込み、
その上で即時引揚げから形勢暫時観望かのいずれかに決定する旨、説明した。
そして、 「比良」 は引揚げ作業直接掩護のため、同日午後、嘉陵江に転錨した。
なお、この日夕方、重慶に中国軍大勝の報が伝わり、
市内では伝単及び爆竹などにより祝意が表され、以後対日感情は悪化の一路をたどった。
三十日 12:00 、 土井艦長は、槽谷領事と協商の上、
次の情況判断 (要旨) をもって、我が居留民を宜陽丸で全部引揚げることとし、
八月一日 04:30 、 「比良」 護衛の下に重慶発、宜昌を経て漢口回航に決した。
情況判断(要旨)
一 日中全面衝突は到底避けられない。
二 重慶の抗日気勢は次第に悪化の可能性がある。
三 当地で引揚げを感ずる時は既に時機を失し、下江の困難想像に余りあり。
むしろ事件発生前に一時引揚げる方が、民心も早く平静となり、再復帰が容易である。
二十九〜三十一日、糟谷領事は中国側の関係各官公署を歴訪し、
早期引揚げに至った次第を説明し、遺留財産日録を添えてその保護を要求した。
先方は、我が申し入れを快諾し、引揚げを安全にする各種処置をとった。
しかし、市内の情況は次第に険悪となり、
三十一日、市商会は日貨売買を禁止し、違反者に対し厳罰を加える旨の宣言を発した。
かかる状況下に重慶居留民総員二九名は、同日 18:00 宜陽丸に乗船を終えた。
八月一日 06:40 、 「比良」 は、同船を護衛して重慶発、
二日 16:30 宜昌仮泊、同地に残留した居留民一名を収容し、同日 18:00 宜昌発、
翌四日 16:00 漢口着、無事護衛任務を終了した。
なお、糟谷領事以下館員少数は漢口に上陸し、その他は、宜陽丸に乗船のまま、
翌五日 21:00 漢口発下江し、七日午前無事、上海に到着した。》
* 28日に 「中国軍大勝の報」 とありますが、これは例の 「南京嘘放送」 で、
通州保安隊が騙されたのと、同じ類 (たぐい) のものです。
つづく
これは メッセージ 1508 (kir**gotowa**me さん)への返信です.