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不拡大方針を説明して回る河辺課長

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/03/09 18:35 投稿番号: [1509 / 2250]
児島襄著   『日中戦争4』   文春文庫
292p


《 二月二十四日、・・・参謀本部作戦課長河辺虎四郎大佐が、東京を出発した。

七月までは中国で新作戦をおこなわないとの方針を、各軍司令官に説明し、

理解を徹底させるためである。》



井本熊雄著   『支那事変作戦日誌』
201〜202p


《 主任者の河辺大佐が出かけて手渡し、直接説明する役を仰せつかった。

以下その出張先の状況を、河辺回想録そのままを引用することによって

明らかにしたいと思う。



「……それで漸く私の案が通りまして、

自分で案を書きましてそれを御前会議で御決裁を仰ぎ、

大本営の通報として各軍司令官に渡すことを決めて頂きました。

それならば一つお前が書いた案であるから自分で持って行って来いという訳で、

北京、張家口、新京、竜山各軍司令部へ私が持って参り、それを伝えるとともに、

御前会議で総長殿下が申上げられたことをそのまま各軍司令官に申上げたのであります。



当時畑大将は中支に行かれた直後で、参謀長が東京に来ておりましたから

それを渡してやりました。

こう云う訳で二月未から三月初めにかけて廻って来ました。

その時各軍司令官の態度は

『よしそれじゃ文句は言わぬ。そのまま大本営の仰せの通り承る』

というのが大体共通的でありましたが、



北支方面軍司令官の寺内閣下は

『無論大本営の示されることに反対はしないが意見としてはあるぞ』   と云われました。

そして   『どうしても徐州はやらなくちゃならぬ。

八月以降になると気候の関係で非常にやりにくい。

また敵情もこれを許さぬだろう。しかし大本営のお示しは承っておく』

と云うことでありました。



駐蒙軍の蓮沼閣下は別に意見なく承知されました。

関東軍も直接関係なく東條参謀長、石原参謀副長もどっちかと言えば

これに同意であったと思います。



朝鮮軍も直接の関係はありませんが、小磯閣下は全く個人の意見として

強硬に徐州作戦の必要性を唱えられました。

『苟   (いやしく)   も支那を討つものが徐州に手をつけないと云うことは嘘だ。

しかしおれは漢口をやれとは云わぬ』   と云っておりました。

また   『鄭州に一石を打っておけ』   とも云われました。

私は   『御意見はよくわかりますが、

とにかく今の軍隊は至急に一応の整理をしなければなりません』

と云いました所   『わかった』   と明白に云われました。



要するに当時以後の作戦指導は大体そういう様な考えで、八月頃の新態勢をとるまで

一時徐州、鄭州、ということは考えないでやるべきだということになりました。……」


このようにして河辺作戦課長は、二月下旬から三月始めにかけて

出先軍司令部を一巡して帰京した。》
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