済南事件5 電話線を切られた日本軍
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/12/31 17:00 投稿番号: [1360 / 2250]
児島襄著 『日中戦争1』 文春文庫
175p
《 兵舎に利用された民家は、強固な土塀の中に数家屋が密集していて、
出入口は一個所しか無く、二人の中国兵が立哨していた。
久米川小隊が、岡田巡査にたいする暴行犯人をつかまえるために近づくと、
歩哨は発砲し、屋内からも射撃してきた。
久米川小隊は応戦し、二人の歩哨を射殺するとともに、
小隊長は中隊主力の出動を意見具申すべく、伝令を送った。
・・・
銃声を合図のように、国民革命軍兵士は商阜地内の随所で掠奪と射撃を開始した。
天津歩兵隊第四中隊本部には、久米川小隊からの伝令が到着する前に、
今度は緯一路三馬路交差点付近で中国兵多数が日本人民家をおそっている、
国旗を破棄している、という急報がつたえられた。》
176〜177p
《 斎藤少将は、ほぼ総領事館到着と同時に天津歩兵隊第四中隊長
難波大尉の電話で、日中軍交戦を知った。
少将は、ただちに参謀菊池門也中佐に現場偵察を命じ、また旅団司令部
(横浜正金銀行済南支店) の装甲車を出動させることにした。
だが、中国兵はいち早く日本側の軍用電線を切断したとみえ、
旅団司令部にも師団司令部
(潘公館)
にも電話は通じない。
天津歩兵隊は、旅団司令部に近い朝鮮銀行に本部を置いているが、
難波大尉は市内電話で連絡してきた。
その市内電話も、いまや話し中や混線、あるいは交換手が出たと思うと
プツリと切れて、用をなさない。
師団長福田中将は、幕僚と連絡がとれないとわかると、むっつりと黙りこみ、
斎藤少将も、副官中西昌音大尉をオートバイで旅団司令部に走らせたあと、
憮然
(ぶぜん)
と天井をあおいで瞑目した。
聞こえなかった銃声が、風にのってひびいてきた。戦闘が激化した証拠である。
・・・
押取刀 (おっとりがたな) ― というが、日本軍部隊はその表現そのままに、
次々に済南・商阜地東部の日中軍衝突現場に急行した。
東地区担任の天津歩兵隊は、所属三個中隊のうち、第四中隊が総出勤したのに
つづいて、第五中隊(石井民恵大尉)、第六中隊(高久伸一大尉)も
それぞれ第一、第二小隊を出動させた。
・・・
街路の両側に小路が入り組み、密集した民家の土塀越しに射弾が集中し、
おまけに強風が砂塵を吹きつけるので、攻撃前進は困難であった。
それでも、中国兵がたむろする民家を一軒ずつ掃討して進んだが、
もともと両軍の衝突はこの麟趾門街での中国兵の掠奪に発起しているように、
占領する中国人民家のほとんどが掠奪、暴行されていた。
「支那人民ノ柱ニ縛ラレアル等、惨状目も当テラレズ」
といった光景も、少なくなかった。》
つづく
これは メッセージ 1357 (kireigotowadame さん)への返信です.
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