長勇の 「ヤッチマエ」 は幕府山の間違いか
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/12/06 19:12 投稿番号: [1279 / 2250]
12月14日、山田支隊は幕府山で、婦女子・老人など非戦闘員を含む、
一万四七七七名の捕虜を獲ました。非戦闘員をより分け釈放しました。
15日、処置をどうするか、師団に問い合わせると、「始末せよ」
と言われました。
しかし、どうも本当の軍命令ではないようです。
というのは、上海派遣軍の飯沼参謀長が次のように日記に書いているからです。
◇十二月二十一日
大体晴
荻洲部隊山田支隊ノ捕虜一万数千ハ
逐次銃剣ヲ以テ処分シアリシ処
何日カニ相当多数ヲ同時ニ
同一場所ニ連行セル為
彼等ニ騒カレ
遂ニ機関銃ノ射撃ヲ為シ
我将校以下若干モ共ニ射殺シ
且ツ相当数ニ
逃ケラレタリトノ噂アリ。
上海ニ送リテ
労役ニ就カシムル為
榊原参謀連絡ニ行キシモ
(昨日)
遂ニ
要領ヲ得スシテ帰リシハ
此不始末ノ為ナルヘシ。
軍は、捕虜を上海に送って労役に使うつもりだったようです。
板倉由明著
『本当はこうだった南京事件』
141〜142p
《 榊原氏の証言
(一九八三年七月三日榊原主計氏自宅にて)
では、
捕虜は上海に送って労役をさせることにして、受け入れ準備のため、
上海に出張し、帰って捕虜受け取りに行ったら既に殺されていた、という。
どうも上海派遣軍司令部では、参謀長、副参謀長、担当参謀のいずれも
捕虜殺害の命令を出していないようである。》
では誰がそんな命令を出したのでしょうか?
上海派遣軍で考えられるのはただ一人、長勇参謀です。
彼には
「ヤッチマエ」
という有名な話があります。
第 6 師団が、17日に下関で捕まえた支那人十二、三万をどうするか、と
聞いてきた時、殺せと言ったという話です。
この十二、三万には民間人を含んでいます。
しかして、この時期に、第 6 師団が下関で十二、三万も捕虜をとれるわけがないし、
第十軍の第 6 師団が上海派遣軍の長勇にお伺いを立てられるわけもない。
長勇も命令できない。
話に辻褄があいません。
しかしこの問い合わせが、第 6 師団ではなく、第 16 師団なら辻褄があいます。
山田支隊は第 13 師団なのですが、第 13 師団本体は揚子江の北側にいて、
南京にはいません。
山田支隊は、第 16 師団の応援に呼ばれていますので、
問い合わせるべき師団は第 16 師団となります。
この第 16 師団が15日に上海派遣軍に問い合わせたとすれば話が通ります。
場所は下関ではなく幕府山で、日にちも違いますけど、
一万四七七七名を一桁上げれば十二、三万は近い数字です。
しかも、女・子供・老人が含まれています。
問い合わせたら、長勇が
「ヤッチマエ」
と言った。
長勇の
「ヤッチマエ」
は本当はこうではないでしょうか。
もしそうなら、30万人から、下関の十二、三万人は差し引かなければなりません。
推測ですから、絶対ではありませんが、この方がつじつまがあいます。
これは メッセージ 1 (rdupwatch さん)への返信です.
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