昭和元年 中国での暴虐事件7漢口
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/12/06 18:51 投稿番号: [1278 / 2250]
『もう一つの南京事件』日本人遭難者の記録
田中秀雄編集・解説
注:この本の原本は昭和2年に書かれたもの。
車夫、苦力の横暴2
112〜113p
《 さて三月三十一日に下江した南陽丸乗り込みの百三十名の避難者は、
かようの折柄荷物の積み込みには散々に悩まされた。
平常ならば各自の手に提げるかするくらいの小荷物でも、
苦力がたかって来て荷物運搬は自分どもの職務だと称し強奪し、
租界から船着場まで二十丁余りのところを一個五円とか十円とか吹きかける。
これをはねつけると荷物を押えて渡さぬ。
船の出帆は迫る、群衆は群がるするので言いなりに支払う。
甚だしいのは五六個で百円以上を取られた者もある。
日本旅館から船着場まで自動車を走らせた外国人は、百余の群衆に
自動車を取り囲まれ、苦力車夫の営業を妨げたとの言いがかりで百ドルを取られた。
彼らの仲間では工会員を数十組に分かち各組界に分置し、
さらに各租界より埠頭に至る間を五六区に区分し各区ごとに苦力を配置し、
普通荷物一個につき一区間十ドル乃至二十ドルという不当な賃銭を定めている。
だから他租界から日本租界に引越すかまたは引揚げるかするには、
家財道具の運搬に二百ドル三百ドルを要することになる。
もし自分どもで運ぶか他の方法によるかすれば工会側と衝突するか
または直接当座の迫害を免れない。
ある日本旅館の番頭は支那街にある英国汽船会社埠頭に客を送り
荷物を運ぶのに苦力を使用しなかったと言うので埠頭夫工会に曳かれ、
裸にされた上、命が欲しいか金が欲しいかと脅かされ持ち合わせの十余ドルを強奪された。
さらにこれは滑稽にも思えるのは旅館松廼家に出入りする客人を見ると
苦力が飛んできて、玄関から自動車または車まで僅々二三歩のところを
勿体らしく手荷物を運び、それで一個五ドルくらいを強請する。
無法と言おうか執拗と言おうか、ほとんど他の何国にも類例のない乱暴さである。
しかもこれらに対しては支那官憲はもとより
我が日本官憲においてもどうすることもできなかった。
在留邦人の間には物議がかもされてきた。
せっかく日本官憲があっても官憲らしい取締りさえ出来ないとすれば、
むしろ租界を返還してしまえなど言う皮肉な議論も出た。
自衛団組織も提唱された。一方において租界内は支那街ならぬ流言輩語に充たされた。
暴徒襲来の噂が伝えられた。
日本綿花会社支店には南軍幹部から一万ドル要求の脅迫状が舞い込んだと噂された。
街上には不逞車夫苦力などの外にピストルを手にした南軍兵の横行を見るに至った。
もしこれで数日を過ごすものとすれば、官憲の命令なくとも
自発的にも引揚げを必要とする時の切迫しつつあるのが予感され、
在留邦人は各々仕事も手につかない状態に立ち至った。》
これは メッセージ 1277 (kireigotowadame さん)への返信です.
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