大正末 中国での暴虐事件2漢口
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/12/04 15:16 投稿番号: [1260 / 2250]
『もう一つの南京事件』
日本人遭難者の記録
田中秀雄編集・解説
注 : この本の原本は昭和2年に書かれたもの。
108p
川本洋行襲撃並びに罷業
(同
(大正)
十五年十一月)
これは前に詳述せる如く支那人の横暴と対日人観念を最も露骨に表した事件である。
前述の内容
100〜101p
《 川本洋行事件
さらに暴虐きわまるのは十一月二十日に起こった川本洋行事件である。
日本租界高昌里と平和街の角にある同店では、支那人米屋から買い入れた米四俵を
届けてもらって、そのうちの二俵を店内にかつぎ込んだところに
糾察隊が来てあと二俵を入れさせまいとする。
もちろん、日本人には米を買わさぬというのである。
しかしこれは巡捕の仲裁で収まったが、
あくまで横着な糾察隊では米を運んできた苦力が同店に入ったのを出せと言う。
そのうちに二三十名が店内に押し入って苦力を引き出しにかかったので
争闘が持ち上がり、ショーウインドウや戸口のガラスは壊される、
店品は奪われる、主人は群衆に取り囲まれ散々に殴打された上に、
いつの間にか黒山のように群がった人ごみの中に引きずり込まれた。
側に居合わせた日本人もまごまごすれば巻き添いを食いそうなので手が出せない。
そのうちにますます群衆は増す、騒ぎは大きくなる。支那軍隊も駆けつけたが
ほとんど救出の途がつかない。
十分二十分と息を殺してその消息を待つ家族の人々はもちろん、
はたの日本人にも今は絶望的な悲痛に閉ざされた刹那、
気息奄々としてほとんど死人のようになった川本氏が、
日本領事館警察署巡査永松、大瀬両氏に助けられ、人波を分けて現われた時には、
支那人までが覚えず歓呼の声を挙げた。
最初両巡査が馳せつけた時は平和街から大興街後方かけて集まった数千の群衆は、
日本巡査を殺せと騒ぎ立てたが漸く身を以って免れ、
大興街の後方にある工会本部に飛び込み談判の結果、無事救出することを得た。
もし両巡査が途中で群衆に阻まれるか一刻後れるかすれば、
恐らく由々しい大事を惹起したに相違なかったであろう。
しかして彼らの迫害は我が同胞の子供にも及んだ。
当時の
「漢口日報」
にこんな記事があった。》
つづく
これは メッセージ 1230 (kireigotowadame さん)への返信です.
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