大正末 中国での暴虐事件3漢口
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/12/04 15:24 投稿番号: [1261 / 2250]
『もう一つの南京事件』
日本人遭難者の記録
田中秀雄編集・解説
注 : この本の原本は昭和2年に書かれたもの。
101〜102p
支那人子供が投石する
《 日本使用支那人の罷工以来頑是ない支那人子供までが邦人を蔑視し、
通行中悪罵を浴びすることは珍しくない。最近日本租界附近の支那人子供は、
邦人子供が多く本願寺の内庭に集まり遊んでいるのを知り、
潜
(ひそ)
かに石を携えて近寄りこれを投付けては逸散に逃げ去るものあり、
すこぶる危険であるから子供を持つ親たちはこの際万一を慮り充分の注意が肝要である。
(十一月二十四日)
さらに奇怪なのは、小学校児童が通学途上で支那軍人に銃砲の台尻で突かれたり
打たれたりした事実があり、鉄路外の日本人家屋に糾察隊が闖入した時に
支那軍人が同行したこともある。実に物騒きわまるものであった。
こうした日が一週間続いた。その間在留民は領事館とともに極力折衝に努めたが、
結局隠忍自重主義を基調とする大譲歩によって結幕となった。
この事件以降は日本人と使用支那人との間はまったく主客顛倒、
ボーイが主人か使用人か分らなくなった。
何々工会の成立祝賀会だから暇くれといえば出してやる、
何々紀念日というては出て行かれる。行かないと糾察隊が引っ張り出しに来る。
朝早くから銅鑼を鳴らし
『八時までに集まれ』
と怒鳴って歩く。
戸の閉まった家は叩き起こす、足で戸を蹴る。
不参者は二ドルの罰金、中には
「工賊」
など書いた色紙を背に貼り
後手に縛って街上を曳き回された者もある。
孫文紀念日には、やはり各工会を網羅した行列があったが、
当日領事館では領事付のボーイか何かを参加させなかったために、
糾察隊が出張ってぜひ出せという。
一体十一月の協定では、用がある時には出さないでも宜いことになっている。
にも拘らず強要する。
遂には六尺棒を揮って暴れ出し、そばにいた書記生は眼鏡を毀され負傷した。
いやしくも外国の官衙に押し入るさえ不都合なるに、
凶器を揮って狼籍を働くに至ってはまったく言語同断である。
しかもかようの事柄はこれまでは全然なかったことで、
いかに彼らの対日観念が悪化せるかが分る。》
これは メッセージ 1260 (kireigotowadame さん)への返信です.
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