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百人斬り記事 第2号

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/07/26 16:28 投稿番号: [123 / 2250]
〔昭和12年12月4日   大阪毎日朝刊〕

《丹陽にて【三日】浅海、光本本社特派員発

既報南京をめざして雄々しくも痛快極まる「百人斬り競争」を開始した片桐部隊の
二青年将校、向井敏明少尉、野田毅少尉両勇士は常州出発以来も奮戦につぐ奮戦を重ねて

二日午後六時丹陽に入城したが、かたや向井少尉はすでに敵兵を斬つた数八十六名に達すれば
野田少尉も急ピツチに成績をあげ六十五と追いすがり互いに鎬をけづる大接戦となつた、

即ち両勇士は常州、丹陽たつた十里の間に前者は三十名、
後者は四十名の敵を斬つたわけで壮烈言語に絶する阿修羅の如き奮戦振りである、

何しろ両勇士とも京滬鉄道に沿ふ同一戦線上で奔牛鎮、呂城鎮、陵口鎮(何れも丹陽の北)の
激戦で敵陣に飛び込んでは斬り躍り込んでは斬り、

中でも向井少尉は丹陽城中正門の一番乗りを決行、野田少尉も右の手首に軽傷を負ふなど、
この百人斬競争は赫々たる成果を挙げつつある、

記者等が丹陽入城後息をもつかせず追撃に進発する部隊を追ひかけると
向井少尉は行進の隊列の中からにこにこしながら

野田の奴が大分追ひついて来たのでぼんやりしとれん、
この分だと句容までに競争が終りさうだ、

そしたら南京までに第二回の百人斬競争をやるつもりだ、野田の傷は軽いから心配ない、
陵口鎮で斬つた敵の骨で俺の孫六に一ケ所刃こぼれが出来たがまだ百人や二百人は斬れるぞ、

大毎、東日の記者に審判官になつて貰ふワッハッハッハ
と語つて颯爽と進んで行つた 》



「向井少尉は丹陽城中正門の一番乗りを決行」だってー?
砲兵隊の小隊長が、持ち場を離れて、歩兵より先に一番乗りなどしたら軍法会議にかけられるぞ。

「記者等が丹陽入城後息をもつかせず追撃に進発する部隊を追ひかけると
向井少尉は行進の隊列の中からにこにこしながら」って、


向井少尉は、この丹陽の戦いで、膝を負傷して入院しているのだけど。

直轄の隊長である富山武雄氏の証明では

4、向井少尉ハ 昭和十二年十二月二日 丹陽郊外ニ於テ 左膝頭部 盲貫ヲ受ケ離隊
  救護班ニ収容セラレ   昭和十二年十二月十五日 湯水ニ於テ 部隊ニ帰隊シ 治療ス

(鈴木明著『「南京大虐殺」のまぼろし』90〜91p)

とある。丹陽郊外で負傷ということは、丹陽城陥落前だから、
当然、丹陽城中正門の一番乗りはありえない。

向井少尉の負傷入院は野田少尉も書いている。


《野田ハ 麒麟門東方ニ於テ 記者ノ 戦車ニ添乗シテ 来ルニ 再会セリ

  記者 「ヤアヨク会ヒマシタネ」

  野田 「記者サンモ御健在デ オ目出度ウ」

  記者 「今マデ幾回モ打電シマシタガ 百人斬競争ハ 日本デ大評判ラシイデスヨ。

    二人トモ百人以上突破シタコトニ   (一行不明)

  野田 「ソウデスカ」

  記者 「マア其ノ中 新聞記事ヲ 楽ミニシテ下サイ、サヨナラ」


瞬時ニシテ 記者ハ 戦車ニ搭乗セルママ 去レリ。

当時 該記者ハ 向井ガ 丹陽ニ於テ 入院中ニシテ 不在ナルヲ 知ラザリシ為、

無錫ノ対話ヲ 基礎トシテ 紫金山ニ於イテ 向井野田両人ガ 談笑セル記事 及

向井一人ガ 壮語シタル 記事ヲ 創作シテ 発表セルモノナリ。》

(『正論』2001年8月号336p)
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