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12月2日〜3日の陸海軍の動き

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/07/25 16:30 投稿番号: [122 / 2250]
上海派遣軍

第13師団は江陰要塞の陸正面から攻撃を開始し、12月2日これを占領。
第3師団主力は、軍命令により12月2日、蘇州に集結した。

12月2日、第16師団追撃隊は丹陽を、第9師団追撃隊は金壇を占領した。

上海派遣軍は、12月3日、第16師団をして句容−湯水鎮−南京道に沿う地区を、
第9師団をして天王寺−&#28283;化鎮−南京道を、ともに南京に向かい追撃させ、

天谷支隊をして、鎮江攻略の目的をもって、速やかに常州付近を出発し、
常州−丹陽−鎮江道を鎮江に向かい前進させた。

(戦史叢書 『支那事変   陸軍作戦1』 421〜423p)


第十軍

2日、南京攻略に関する方面軍命令を受領したので、
直ちに、第114師団を宜興−漂陽−漂水道をまず漂水北方地区に、

第6師団を長興−広徳−洪藍埠道をまず藍水西方地区に、
第18師団を広徳−十字舗−郎渓−洪藍埠−太平−南京道をまず小丹陽付近に進出させ、

国崎支隊を広徳−郎渓−太平道方面から揚子江を渡河し、
じ後浦口付近に進出し、敵の退路を遮断するよう部署した。

第114師団は、12月2日漂陽を占領した。
国崎支隊は、2日広徳を出発、3日郎渓に達し、同地で水上機動の準備を行う

(戦史叢書 『支那事変   陸軍作戦1』 423〜425p)



海軍の揚子江啓開作戦

戦史叢書 『中国方面海軍作戦1』 457〜458p
12月1日に南京攻略の大海令が下った。

2日    陸軍部隊が既に江陰を占領した旨の情報があったが、
夕刻まで同方面に砲声が盛んに聞こえた。

また朝から珍しく敵大型機一〇機が上海、通州水道方面に来襲した。

前路警戒隊指揮官は午前、 「八重山」 の内火艇二隻を竹丸 (機銃武装) の護衛に付し、
南水道クロッシングから段山上流約二・五浬までの探掃を実施し、

午後、掃海隊の曳船四隻をもって同所を清掃したが、拘束機雷、水中障害物を認めず、
よって主隊はクロッシングに進出した。

この日 「神川丸」 は第一警戒隊指揮官の指揮下に入り、許浦口に進出し、
その水上機は江陰閉塞線下流の予想敷設線に爆弾を投じたが誘爆せず、

敷設機雷の有無を確認するに至らなかった。


3日   江陰砲台は巫山砲台のほか、我が陸軍部隊の手に帰した。この日から
「神川丸」 水上機隊は許浦口及びクロッシング錨 (びょう) 地の上空直衛を開始した。

同隊は午前、午後各一回、ビッグツリー上流の機雷推定位置に爆弾を投下したが
誘爆を見なかった。なお左岸の龍潭港付近にはトーチカ陣地が発見された。

「鳥羽」 は08:00、クロッシング泊地発、南水道偵察の目的をもって10:00ころ
揚沙鎮付近に進出、同艦陸戦隊は同地に上陸、約一時間詳細に偵察したうえ昼ごろ帰投した。

巫山に砲四門あり、 「鳥羽」 に対し射撃準備中なるを認めた。 「蓮」 も同日朝、
クロッシング泊地発、北水道を通過してビッグツリーの上流約一・五浬付近まで進出、

夕刻まで同地付近に仮泊して水路及び付近の状況を偵察して帰着した。

同艦も巫山に中国兵らしき者多数を認めた。
「堅田」 は潮時を利用し、段山沙西方水道から海北港沙北方水道一帯の敵情を

偵察すべきを命ぜられ、陸戦隊を揚陸、これを実施した。

掃海隊 (林少佐指揮   曳船四隻) は、スリーツリーの北東二、〇〇〇米までの
南水道の清掃を完了した。
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