大正末 中国での暴虐事件1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/12/03 13:51 投稿番号: [1229 / 2250]
『もう一つの南京事件』
日本人遭難者の記録
田中秀雄編集・解説
注 : この本の原本は昭和2年に書かれたもの。
106〜108p
《・・・・彼ら
(中国人)
は日本は何を言われても付いて来ると信じている。
少々怒らしても刀を抜かないと定 (き) めている。
彼らの今日の心持ちは浅野内匠頭長矩を苛めつけた吉良良英の心持ちと思えば大差ない。
たとえ松の廊下の刃傷沙汰が突発しても、英米という国が控えている以上、
たちまちに主従は切腹、お家は断絶だと多寡をくくっている。
支那人が多寡をくくっているばかりではない。
事実これまでの幾年月かは日本も刀が抜けなかった。
あらゆる侮蔑、あらゆる横着をきめられても、歯噛みさえ為さなかった時代もあった。
さてこそ事件は頻々として起こった。
我々の記憶せる漢口地方の事件だけでも左の如き多数に上る。
邦人の横死と惨害
租界ボーイ領事館襲撃(大正十三年一月)
日本人商店東学洋行使用支那大田種香なる者、ある事故により領事館警察に引致取調べ中、
留置場にて縊死したのを日本人巡査が殴打して死に至らしめたのだと強い、
租界内のボーイを糾合し領事館に押しかけ、石を飛ばし天秤棒を揮い狼籍を極め、
警察署長は群衆裡に引きずり込まれ殴打さるるに至り、
遂に義勇隊、消防隊のほか、軍艦より陸戦隊上陸しようやく事なきを得た。
これは支那群衆が日本領事館に殺到した初めての出来事である。
水谷氏の横死(同
十四年六月)
六月一日の英租界暴動に際し英租界湖北路一帯の日本商店が全部掠奪破壊せられた際に
通関業者水谷氏が暴民の包囲するところとなり、
脱出する間もなく天秤棒、石塊などにて打ち殺され路傍に遺棄されていたのを救出し、
病院にかつぎ込んだがその時は既に駄目だった。
松永氏の横死
(同
十四年十一月)
正金銀行漢口支店員松永氏は日曜日武昌郊外に銃猟に出かけたまま行方不明となり、
邦人総出で捜索したがただ同氏の愛犬が悄々(しょうしょう) として
江畔に惶(まど) えるのを救出しただけであった。
確聞するところでは、武昌近郊にて不逞学生と衝突し格闘の未遂に所持の猟銃を奪われ、
それで射殺された上、死骸は各所に転埋せられ遂にその所在さえも不明になったという。》
つづく
これは メッセージ 1225 (kireigotowadame さん)への返信です.
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