◆台湾における日本人の評価 4
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2011/12/02 03:59 投稿番号: [1213 / 2250]
■台湾の神様になった森川巡査
森川清治郎は明治30年に、台湾に渡り、南西部の台南州(今
の嘉義県)東石郷副瀬村の派出所に勤務した。森川巡査は、村内
の治安維持に努める一方、派出所の隣に寺子屋を設け、手弁当で、
子供たちのみならず、大人たちにも日本語の読み書きを教えた。
また朝早くから田畑に出て、どうしたら生産が上がるのか、村民
とともに汗を流して実地に指導したり、病人が出ると飛んでいき、
薬や医者の手配まで世話をした。
ある年、総督府は漁業税を制定した。しかし貧しい村のこと、
なんとか税の軽減をお願いできないかと村民は一致して、森川巡
査に嘆願した。巡査は「納税は日本においても義務であり、何と
も仕方がない。しかし生活が極めて苦しい実情を見ると忍びない。
税金の軽減については、その意を上司に伝える」と約束した。
そして税の減免を支庁長に嘆願したが、逆に森川巡査が村民を
扇動していると曲解され、懲戒処分にされてしまう。村民のため
に尽力してきた森田巡査にとって、この懲戒は無念やる方なかっ
ただろう。自ら村田銃の引き金を引いて自決した。銃声を聞いて
駆けつけた村民たちは、変わり果てた巡査の姿を見て、嘆き悲し
み、村の共同墓地に懇ろに弔った。
それから、約20年後の大正12年、この地域で伝染病が流行
した時、村長の夢枕に制服姿の警察官が出てきて、「生水や生も
のに注意せよ」と告げた。村民にその注意を守らせると、伝染病
はおさまった。
村民たちは、自分たちの親や祖父母が一方ならぬ世話になった
森川巡査が、死後も自分たちを護ってくれていると感謝し、巡査
の制服制帽の姿を木像で作り、義愛公と呼んで祀った。この「日
本人の神様」は、今でも「観音様、媽祖様、義愛公様」と、人々
の信仰を集めているという。
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