◆台湾における日本人の評価 2
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2011/12/02 03:57 投稿番号: [1211 / 2250]
児玉と後藤が台湾農業振興のために、三顧の礼で迎えたのが、日本で最初の農学博士・新渡戸稲造である。新渡戸は、半年かけて台湾全土を巡り、製糖産業に目をつけた。そして品種改良、耕作方法、加工法の改善に取り組んだ。
この努力が実り、1900年に3万トンだった産糖は、1940年には160万トンとなり、台湾は世界有数の生産地となった。[4]
児玉は、後藤、新渡戸を全面的にバックアップするかたわら、各地を精力的に巡視して、80歳以上の老人男女を食事に招待する(饗老会)など、民心把握に努めた。日露戦争中は、満州軍総参謀長となりながらも、台湾総督の職位を離れなかった。
児玉の死後、江ノ島に神社を作ろうという議が起こったが、予算11万円に対し、集まったのはわずか3千円であった。このことが台湾に伝わると、残りの金額はわずか2週間で集まった。台湾人民がいかに児玉を敬愛していたかが窺われる。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/1211.html