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◆台湾における日本人の評価 1

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2011/12/02 03:57 投稿番号: [1210 / 2250]
日本統治時代をテーマにして描かれた映画「多桑」は、台湾におけるアカデミー賞とも言われる「金馬奨」において観客投票最優秀作品賞を受賞した。

「多桑」は、台湾語読みで「トーサン」と読み、日本統治時代の「父さん」の名残だそうだ。日本教育を受けた世代で、日本びいきの主人公セガは子供達にも自分のことを「トーサン」と呼ばせる。子供達はそんあ「トーサン」を最初は「奸漢(売国奴)」と非難していたが、成人して父親の心情を理解する。この長男が監督として、実体験に基づいて作った映画が「多桑」であり、戦後日本の統治時代の人々は、この作品を見て涙を流し、若い世代にも共感を呼んだらしい。

しかし、「多桑」世代の人々は、なぜそんなに親日的なのだろうか。それは、大きなスケールで、台湾のために尽くした多くの日本人がいたからである。今回は、それらの人々の一部を列伝風に紹介してみたい。


■児玉源太郎、後藤新平、新渡戸稲造

明治31(1898)年、日本の台湾統治は、まだ3年目であり、あちこちに反抗勢力が残り、治安の確立も、産業の発展も立ち遅れていた。ここで第4代総督として任命されたのが、後に日露戦争でも活躍した児玉源太郎である。児玉は、後藤新平(後の東京市長)を民政長官に起用した。

  後藤はもともと医師であり、社会衛生を重視した。アヘンに高率の税をかけ、吸引者を徐々に減らすと共に、その税収を衛生改善に当てた。当初16万9千人もいたアヘン吸引者は、50年後の日本敗戦時には皆無となっていた。

また、台湾は「瘴癘(しょうれい、風土病)の地」とも呼ばれ、台湾平定時の日本軍戦死者164名に対し、病死者が実に4,642名という有様だった。[3,p306]後藤は悪疫予防のために、上下水道を完備し、主要道路は舗装して、深い側溝を作り、汚水雨水の排出を速やかにした。これは当時の日本本土でも行われていなかった。

伝染病を抑えるために、台湾医学校を設立して、ここから多くの台湾人医師が育った。またほとんど都市の形をなしていなかった台北で、大都市計画を実行し、整然とした清潔な市街を作りあげた。
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