大正時代の第一次南京事件1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/12/01 18:45 投稿番号: [1187 / 2250]
辛亥革命の2年後、袁世凱政府に対して、南方の孫文・黄興らが反旗を翻し、
第二革命を起こした。
これを討伐するために、袁世凱は南方に軍を送り、
その軍隊が、南京を占領したときのできごと。
〔大正2年9月4日
大阪毎日〕
日本陸戦隊が出動
北軍、邦人を惨殺す
〔上海来電三日発〕
一日午前十一時抵抗なく朝陽門占領され、続いて富貴山砲台陥り、
太平、神策の各門破れ、南軍は市内に於いて少しく抵抗しつつ南門より退却し、
雨花台に拠りて昼夜猛烈に交戦中なりしが、北軍各部隊の挟撃する所となり、
二日午前九時半頃漸次南方に退散し、雨花台附近北軍の占領に帰せり。
北軍の手に帰したる南京は大火災起こり、兵士は武装を解けるも惨殺を行い、
商店の掠奪に遭うもの多し。
邦人医師二軒、国旗及び赤十字旗を掲げたるに拘わらず二十回まで
掠奪
(りゃくだつ)
せられ、ほとんど一物を残さず。
十数個の日本商店またおおむね損害を蒙り、戦乱のため領事館に避難中なりし
理髪師二名、雑貨商一名帰店せるに、北兵の侵入して掠奪すること数回に及び
危険迫りたれば、急ぎ領事館に引き揚げんとする途中、国旗を立て
日本人なることを表明せるに拘わらず、張勲の兵発砲して一人を殺し、
一人は銃剣を以って惨殺せられ、他の一人は腹部に貫通銃創を負い、
その後ついに死亡せり。
船津領事は直ちに北軍司令に抗議を提出せり。
しかるに北軍占領以来、領事館と公渉使の通路たりし漢西門通行を許されず
交通杜絶せしかば、綱によって城壁を越え内外の連絡を保ちつつあり。
我が陸戦隊出動
南京警備の軍艦千代田は、出来得るだけ多数の陸戦隊を上げたり。
また軍艦新高
(名和中将坐乗)
は三日朝五時、上海より南京に急航せり。
*
大正2年に南京は中国の北軍に占領され、放火・略奪・虐殺されています。
武装を解いた兵士も惨殺されている。
赤十字旗も日本国旗も無視ですね。
24年後に日本軍がしたと言われている事と似たパターンですね。
これは メッセージ 1178 (kireigotowadame さん)への返信です.
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