日本軍兵士が目撃・体験した南京事件(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/01 01:22 投稿番号: [1181 / 2250]
当時の中国の首都、南京を武力占領したのは
陸軍であるため、
大虐殺があった事実を示す 多くの証言や記録は、おもに陸軍の
関係者によるものだ。 さらに 参考として、海軍関係者による
記述についても ここで 引用しておきたい。
南京周辺で撃墜された 海軍機の乗務員を 捜索するため、
占領直後の南京に入った 海軍将校が、そこで 目撃した
状況に関し、客観的な視点から 率直に記録している。
以下、奥宮正武『私の見た南京事件』より「下関の光景」引用。
下関は、南京と揚子江の対岸にある浦ロとともに、交通の
要衝であった。 浦ロは、私が上海着任直後に、最初に、
爆撃したところでもあった。 下関には かなり大規模な
停車場と開源碼頭(波止場)があった。
そこで、その付近を見回っているうちに、陸軍部隊が
多数の中国人を 文字通り虐殺している現場を見た。(略)
構内の広場に入って見ると両手を後ろ手に縛られた中国人
十数名が、江岸の縁にそって数メートル毎に引き出されて、
軍刀や銃剣で惨殺されたのち、揚子江に投棄されていた。
岸辺に近いところは、かなり深く目に見えるほどの速さの
流れがあったので、ほとんどの死体は下流の方向に流れ去って
いた。 が、一部の死にきれない者がもがいているうちに、
江岸から少し離れたところにある浅瀬に流れついていたので
付近は血の川となっていた。
そして、死にきれないものは銃撃によって止めが刺されていた。
この一連の処刑は、流れ作業のように、極めて手順よく
行なわれていた。 大声で指示する人々もいなかった。
そのことから見て、明らかに陸軍の上級者の指示によるもの
であると推察せざるをえなかった。
したがって、部外者である私が ロを出す余地は ないと
感じた次第であった。 ---- -
奥宮が目撃した虐殺の様子からは、戦闘の混乱の中で中国兵を
殺害したのではなく、抵抗できない中国人たちを 組織的に、
「流れ作業のように、極めて手順よく」 処刑していたことが
分かる。 その状況からみて、上部からの指示によるものだと
軍人の専門的な視点から推察できた という事実も判明する。
上記に続けて 奥宮は、次のように 記述している。
そこで、私は、付近にいた一人の若い陸軍士官に、尋ねた。
「なぜこのようなことをするのか」
答えて日く、 「数日前の夜、一人の勇敢な中国人が、わが
陸軍の小隊長級の若い士官十名か十一名かは分かりませんが
寝ている寝室に侵入して、全員を刺殺したそうです。そこで、
彼らの戦友や部下たちが、報復のために、その宿舎の付近の
住民を処刑しているとのことです」
彼の説明が正しかったか否かは 私には分からなかった。
そう説明するように教えられていたのか知れなかった。
奥宮に対する 陸軍士官の説明が、もしも 正しかったとしたら、
宿舎付近の住民を つかまえて、「処刑」 したということであり
復讐心に駆られた日本兵による 非戦闘員の惨殺だったことになる。
大虐殺があった事実を示す 多くの証言や記録は、おもに陸軍の
関係者によるものだ。 さらに 参考として、海軍関係者による
記述についても ここで 引用しておきたい。
南京周辺で撃墜された 海軍機の乗務員を 捜索するため、
占領直後の南京に入った 海軍将校が、そこで 目撃した
状況に関し、客観的な視点から 率直に記録している。
以下、奥宮正武『私の見た南京事件』より「下関の光景」引用。
下関は、南京と揚子江の対岸にある浦ロとともに、交通の
要衝であった。 浦ロは、私が上海着任直後に、最初に、
爆撃したところでもあった。 下関には かなり大規模な
停車場と開源碼頭(波止場)があった。
そこで、その付近を見回っているうちに、陸軍部隊が
多数の中国人を 文字通り虐殺している現場を見た。(略)
構内の広場に入って見ると両手を後ろ手に縛られた中国人
十数名が、江岸の縁にそって数メートル毎に引き出されて、
軍刀や銃剣で惨殺されたのち、揚子江に投棄されていた。
岸辺に近いところは、かなり深く目に見えるほどの速さの
流れがあったので、ほとんどの死体は下流の方向に流れ去って
いた。 が、一部の死にきれない者がもがいているうちに、
江岸から少し離れたところにある浅瀬に流れついていたので
付近は血の川となっていた。
そして、死にきれないものは銃撃によって止めが刺されていた。
この一連の処刑は、流れ作業のように、極めて手順よく
行なわれていた。 大声で指示する人々もいなかった。
そのことから見て、明らかに陸軍の上級者の指示によるもの
であると推察せざるをえなかった。
したがって、部外者である私が ロを出す余地は ないと
感じた次第であった。 ---- -
奥宮が目撃した虐殺の様子からは、戦闘の混乱の中で中国兵を
殺害したのではなく、抵抗できない中国人たちを 組織的に、
「流れ作業のように、極めて手順よく」 処刑していたことが
分かる。 その状況からみて、上部からの指示によるものだと
軍人の専門的な視点から推察できた という事実も判明する。
上記に続けて 奥宮は、次のように 記述している。
そこで、私は、付近にいた一人の若い陸軍士官に、尋ねた。
「なぜこのようなことをするのか」
答えて日く、 「数日前の夜、一人の勇敢な中国人が、わが
陸軍の小隊長級の若い士官十名か十一名かは分かりませんが
寝ている寝室に侵入して、全員を刺殺したそうです。そこで、
彼らの戦友や部下たちが、報復のために、その宿舎の付近の
住民を処刑しているとのことです」
彼の説明が正しかったか否かは 私には分からなかった。
そう説明するように教えられていたのか知れなかった。
奥宮に対する 陸軍士官の説明が、もしも 正しかったとしたら、
宿舎付近の住民を つかまえて、「処刑」 したということであり
復讐心に駆られた日本兵による 非戦闘員の惨殺だったことになる。
これは メッセージ 1156 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.