金を払って徴発した日本軍
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/11/28 18:41 投稿番号: [1142 / 2250]
1937南京攻略戦の真実
東中野修道
編著
小学館文庫
230〜231p
《 昭和十二年十月に近衛師団として出征した長谷川秋広上等兵の私家版
『戦火の揚子江を行く』
(昭和六十一年)
は次のように記している。
「一月二十五日
(曇)
きょうは、発電所
(注・松江発電所)
に二名の使役を出す。
分隊は西門から約二キロの部落へ、野菜と食料の徴発に行った。
しかし、
軍票がないので、日本円で払うと、土民はとても喜び、鶏卵まで加えてくれた」 (46頁)
「二月六日
(晴後曇、時々小雪)
分隊の何名かを残して徴発に行く。
土民もだんだん好意を持つようになった。軍票が無いので幾らかの日本銭を与えると、
『謝々』
と笑顔で送ってくれる」(49頁)
「四月五日
(晴)
きょうは勤務はない。
昨日のこと
(注・松江付近における敵の急襲)
もあるので、
いつ非常出勤があるかも知れない。野菜不足のため、城外に徴発に行く。
農民は、われわれがいつも金を与える関係で喜んで野菜を売ってくれる。
また我々のために、少しは備蓄しておいてくれるらしい」
(72頁)
これが南京占領から間もない頃の実態であった。
他方、南京戦の四ケ月前の昭和十二年八月、北支に上陸して間もない浜崎上等兵は、
兄宛の手紙に、 「一汁一菜ことごとく日本軍は代価を払います」(54頁)
と記している。従って、本章に、南京戦の途中、不注意で徴発した兵隊が、
「所属連隊、中隊から官等級、氏名まで書きとめられ、陸軍刑法によって処罰すると
言われ……震え上がり、……泣き縋
(すが)
ってあやまりました」(234頁)
という
話が出てくるのも当然であった。》
注
松江
(しょうこう)
とは、杭州湾の近くの都市。
ここにいるという事は、長谷川氏は、第十軍の兵隊。
第十軍は南京攻略戦に参加したが、すぐ、杭州に移動を命ぜられて、
18日には南京を去った。
彼らは南京城内には、長くいた部隊でも、たった5日しかいなった。
南京を見ずして、Uターンさせられた部隊もある。
つづく
これは メッセージ 1135 (kireigotowadame さん)への返信です.
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