占領米軍の性犯罪3
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/11/25 19:29 投稿番号: [1097 / 2250]
サピオ2007年4月11日号
65pより
《このような状況は、神奈川県民を震撼せしめたであろう。
当時の朝日新聞 (1945年9月5日付) は三段見出しで
「 神奈川県の女生徒は休校 教職員が家族を巡回指導」 と記している。
しかし、9月19日、GHQ 「プレスコード」 が発令されて以後は米兵を批判する記事は、
新聞紙面からすべて消えている。
これで米国は、 「強姦」 など人道上の米軍の犯罪を封印できたと考えたであろう。
しかし記述のように 「特高」 の調書は、言論統制されてからも継続して綴られていたのだ。
当時の憤りを取材して 『黒い春 (米軍・パンパン・女たちの戦後)』 を
1953年に五島勉氏が出版している。
その内容は、調書よりも残酷さがひしひしと伝わってくる。
五島勉氏は1948年から調査を開始し、本人やその家族・友人・事件の目撃者など
1000人にも及ぶ面接にもとづいて占領下の空白時期をまとめた。
その中の、元外務省外局・終戦連絡委員会横浜事務局の北林余志子氏の作成した
米軍の横浜市内と県下の一部を含む、不法行動リストによると、
10月末日までで強姦29件となっている。
しかも、届け出ない件数は数十倍になると証言しているのだ。
五島氏は 「印刷ミスではない」 と断わってこう記す。
「T子 (十一歳・武蔵野市小学五年生) R子 (同) A子 (同) の三人は、
十月 (中略) 武蔵野の林のなかを伸よく手をつないで歩いていた」
〈 キャンプ・トコロザワの近くで夢中でスケッチをしていると、
まずR子がおそわれ、次々に米軍の餌食になってしまったのだ。
彼女達のスカートは切られ、何が起こったのか全然わからなかった。R子とA子は気絶し、
T子はまた泣き叫ぶと、アメリカ兵は彼女の顔を蹴り、ジープで去った 〉
(要旨、以下同)
このような事件が全国で続発している中で、1946年4月東京・大森で恐ろしい事件が勃発した。
〈 N病院 (=中村病院。その後廃業し、跡はビルと道路になった) は
三台のトラックに分乗した米兵によって、およそ一時間ちかくも病院じゅうを荒らされた。
彼等の総数は二百人とか三百人とかという説もある。婦人患者のうち重症者をのぞく
四十数人と看護婦十七人、ほかに十五ないし二十人の付添婦・雑役婦などが凌辱された 〉
「彼等は大病室に乱入し、妊婦・産婦・病気の婦人たちのふとんを剥ぎとり、
その上にのりかかった」
「二日前に生まれたばかりの赤ちゃんフミ子ちゃんは、
一人の兵隊にユカに蹴落とされて死んだ」
「M子などは続けさまに七人の兵隊に犯され、気絶した」
そして、 「裸でころがっているあいだを通って、侵入してきたときと同様、
彼等は表玄関と裏口から引き揚げていった」−− 慄然とする内容である。》
* さて、wadatumi_voice21 さんよ、あんた日本軍だけが恥ずかしい事
やったみたいに想っているようだけど、米軍も同じなんだよ。
あんた、日本女性の被害者に対して、一片の憐みでも感じた事あるかい?
ないだろうなー。
《このような状況は、神奈川県民を震撼せしめたであろう。
当時の朝日新聞 (1945年9月5日付) は三段見出しで
「 神奈川県の女生徒は休校 教職員が家族を巡回指導」 と記している。
しかし、9月19日、GHQ 「プレスコード」 が発令されて以後は米兵を批判する記事は、
新聞紙面からすべて消えている。
これで米国は、 「強姦」 など人道上の米軍の犯罪を封印できたと考えたであろう。
しかし記述のように 「特高」 の調書は、言論統制されてからも継続して綴られていたのだ。
当時の憤りを取材して 『黒い春 (米軍・パンパン・女たちの戦後)』 を
1953年に五島勉氏が出版している。
その内容は、調書よりも残酷さがひしひしと伝わってくる。
五島勉氏は1948年から調査を開始し、本人やその家族・友人・事件の目撃者など
1000人にも及ぶ面接にもとづいて占領下の空白時期をまとめた。
その中の、元外務省外局・終戦連絡委員会横浜事務局の北林余志子氏の作成した
米軍の横浜市内と県下の一部を含む、不法行動リストによると、
10月末日までで強姦29件となっている。
しかも、届け出ない件数は数十倍になると証言しているのだ。
五島氏は 「印刷ミスではない」 と断わってこう記す。
「T子 (十一歳・武蔵野市小学五年生) R子 (同) A子 (同) の三人は、
十月 (中略) 武蔵野の林のなかを伸よく手をつないで歩いていた」
〈 キャンプ・トコロザワの近くで夢中でスケッチをしていると、
まずR子がおそわれ、次々に米軍の餌食になってしまったのだ。
彼女達のスカートは切られ、何が起こったのか全然わからなかった。R子とA子は気絶し、
T子はまた泣き叫ぶと、アメリカ兵は彼女の顔を蹴り、ジープで去った 〉
(要旨、以下同)
このような事件が全国で続発している中で、1946年4月東京・大森で恐ろしい事件が勃発した。
〈 N病院 (=中村病院。その後廃業し、跡はビルと道路になった) は
三台のトラックに分乗した米兵によって、およそ一時間ちかくも病院じゅうを荒らされた。
彼等の総数は二百人とか三百人とかという説もある。婦人患者のうち重症者をのぞく
四十数人と看護婦十七人、ほかに十五ないし二十人の付添婦・雑役婦などが凌辱された 〉
「彼等は大病室に乱入し、妊婦・産婦・病気の婦人たちのふとんを剥ぎとり、
その上にのりかかった」
「二日前に生まれたばかりの赤ちゃんフミ子ちゃんは、
一人の兵隊にユカに蹴落とされて死んだ」
「M子などは続けさまに七人の兵隊に犯され、気絶した」
そして、 「裸でころがっているあいだを通って、侵入してきたときと同様、
彼等は表玄関と裏口から引き揚げていった」−− 慄然とする内容である。》
* さて、wadatumi_voice21 さんよ、あんた日本軍だけが恥ずかしい事
やったみたいに想っているようだけど、米軍も同じなんだよ。
あんた、日本女性の被害者に対して、一片の憐みでも感じた事あるかい?
ないだろうなー。
これは メッセージ 1096 (kireigotowadame さん)への返信です.