残虐行為の多発と慰安所増設の関係(5)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/11/24 19:43 投稿番号: [1077 / 2250]
売春は、本来
公序良俗に反する「醜業」
であり、少なくとも
近代国家が 自ら推奨・普及できるような 生業では なかった。
しかし、中国との戦争が 本格化するや、その関係は 一変する。
いまや 出征将兵の“性欲処理労働”に 従事する女性たちが
軍紀と衛生の維持のため 必須の存在と目され、性的労働力は
広義の軍要員(あるいは「軍需品」と言うべきもの) となった。
それを軍に供給する売春業者は 軍の御用商人 となった。
国家が 民間で行われている 性産業・風俗営業を 公認し、
これを警察的に規制することと、国家自らが、皇軍兵士のために
性欲処理施設を設置し、それを 業者に委託経営させることとは、
国家と性産業との関係において まったく 別の事柄なのだ。
軍慰安所とは 将兵の性欲を処理させるために 軍が設置した
「兵站付属施設」 であったことは、すでに記述したとおりだ。
この事実を 裏付けるものとして、1937年9月29日制定の
陸達第48号「野戦酒保規程改正」 という 陸軍の規則がある。
これは、戦時の野戦軍に設けられる酒保(物品販売所)についての
規程であり、その第1条は、次のとおり 定めている。
第一条 野戦酒保ハ戦地又ハ事変地ニ於テ軍人軍属其ノ他特ニ
従軍ヲ許サレタル者ニ必要ナル日用品飲食物等ヲ正確且廉価ニ
販売スルヲ目的トス
野戦酒保ニ於テ前項ノ外必要ナル慰安施設ヲナスコトヲ得
規程の但し書きに、「慰安施設」 とある。
じつは、この規程は 改正されたものであり、改正前の規程には
「第一条 野戦酒保ハ戦地ニ於テ軍人軍属ニ必要ノ需用ヲ正確
且廉価ニ販売スルヲ目的トス」 という 規定しかなかった。
1937年の改正により、酒保において 物品販売だけでなく、
「慰安施設」を 付属させることが可能になった ということだ。
慰安所は、「野戦酒保に付設された」施設だった と断定できる。
酒保そのものは、明治時代から 軍隊内務書に 規定されている
れっきとした 軍の組織であり、野戦酒保も 軍制令規によって
規定されている 軍の後方施設に まちがいない。
当然、それに付設される 「慰安施設」も、軍の 後方施設だ。
もちろん、上記の野戦酒保規程では「慰安施設」とあるだけで、
軍慰安所のような性欲処理施設を 直接には 指していない。
しかし、占領地で 軍慰安所が 軍の手によって設置された時、
当事者は それを 「慰安施設」 と見なしていたことが、
別の史料で 確認できる。
先に引用した上海派遣軍司令部参謀の日記を 念のために再掲する。
海派遣軍参謀長飯沼守少将の陣中日記(『南京戦史資料集I』)
「慰安施設の件方面軍より書類来り、実施を取計ふ」
「迅速に女郎屋を設ける件に就き長中佐に依頼す」
(37年12月11日、同19日)
同参謀副長上村利通陸軍大佐の陣中日記(『南京戦史資料集II』)
「南京慰安所の開設に就て第二課案を審議す」(同28日)
これらの記述から、上海派遣軍に設置された 「慰安施設」は、
「女郎屋」であり、「南京慰安所」 と呼ばれたことがわかる。
上海派遣軍第101師団の一兵士の陣中日記(荻島静夫陣中日記)
に記述された下記の言葉の意味も、より 納得できるだろう。
「1月8日 夜隊長より慰安所開設の話を聞く。喜ぶ者多し――」
近代国家が 自ら推奨・普及できるような 生業では なかった。
しかし、中国との戦争が 本格化するや、その関係は 一変する。
いまや 出征将兵の“性欲処理労働”に 従事する女性たちが
軍紀と衛生の維持のため 必須の存在と目され、性的労働力は
広義の軍要員(あるいは「軍需品」と言うべきもの) となった。
それを軍に供給する売春業者は 軍の御用商人 となった。
国家が 民間で行われている 性産業・風俗営業を 公認し、
これを警察的に規制することと、国家自らが、皇軍兵士のために
性欲処理施設を設置し、それを 業者に委託経営させることとは、
国家と性産業との関係において まったく 別の事柄なのだ。
軍慰安所とは 将兵の性欲を処理させるために 軍が設置した
「兵站付属施設」 であったことは、すでに記述したとおりだ。
この事実を 裏付けるものとして、1937年9月29日制定の
陸達第48号「野戦酒保規程改正」 という 陸軍の規則がある。
これは、戦時の野戦軍に設けられる酒保(物品販売所)についての
規程であり、その第1条は、次のとおり 定めている。
第一条 野戦酒保ハ戦地又ハ事変地ニ於テ軍人軍属其ノ他特ニ
従軍ヲ許サレタル者ニ必要ナル日用品飲食物等ヲ正確且廉価ニ
販売スルヲ目的トス
野戦酒保ニ於テ前項ノ外必要ナル慰安施設ヲナスコトヲ得
規程の但し書きに、「慰安施設」 とある。
じつは、この規程は 改正されたものであり、改正前の規程には
「第一条 野戦酒保ハ戦地ニ於テ軍人軍属ニ必要ノ需用ヲ正確
且廉価ニ販売スルヲ目的トス」 という 規定しかなかった。
1937年の改正により、酒保において 物品販売だけでなく、
「慰安施設」を 付属させることが可能になった ということだ。
慰安所は、「野戦酒保に付設された」施設だった と断定できる。
酒保そのものは、明治時代から 軍隊内務書に 規定されている
れっきとした 軍の組織であり、野戦酒保も 軍制令規によって
規定されている 軍の後方施設に まちがいない。
当然、それに付設される 「慰安施設」も、軍の 後方施設だ。
もちろん、上記の野戦酒保規程では「慰安施設」とあるだけで、
軍慰安所のような性欲処理施設を 直接には 指していない。
しかし、占領地で 軍慰安所が 軍の手によって設置された時、
当事者は それを 「慰安施設」 と見なしていたことが、
別の史料で 確認できる。
先に引用した上海派遣軍司令部参謀の日記を 念のために再掲する。
海派遣軍参謀長飯沼守少将の陣中日記(『南京戦史資料集I』)
「慰安施設の件方面軍より書類来り、実施を取計ふ」
「迅速に女郎屋を設ける件に就き長中佐に依頼す」
(37年12月11日、同19日)
同参謀副長上村利通陸軍大佐の陣中日記(『南京戦史資料集II』)
「南京慰安所の開設に就て第二課案を審議す」(同28日)
これらの記述から、上海派遣軍に設置された 「慰安施設」は、
「女郎屋」であり、「南京慰安所」 と呼ばれたことがわかる。
上海派遣軍第101師団の一兵士の陣中日記(荻島静夫陣中日記)
に記述された下記の言葉の意味も、より 納得できるだろう。
「1月8日 夜隊長より慰安所開設の話を聞く。喜ぶ者多し――」
これは メッセージ 1076 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.