南京大虐殺による犠牲者の遺体の行方(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/11/23 21:28 投稿番号: [1060 / 2250]
現在の南京城内外には、数多くの集団埋葬地が
存在している。
南京大学(旧金陵大学) 天文台そばの金陵大学難民収容所及
遇難同胞記念碑、紫金山を望む中山陵(孫文陵)近くにある
集団埋葬地などは その一つ。 また、北極山の 至る所に
埋められた遺体叢葬の記念碑の数は、じつに 二千を超える。
資料によると、犠牲者の遺体は 次の5つのルートで 埋葬、
処理された と考えられる。
①国際委員会によるもの
同委員会のメンバーであるベイツは、戦後の東京裁判で証言し、
南京陥落後 72時間以内に、国際委員会が雇った 労働者が
埋葬した軍人・市民の遺体は「3万体に達した」と語っている。
②慈善団体や宗教団体等によるもの
南京城内外に放置された 遺体の埋葬作業にあたった 団体で、
紅卍会 43,123体、 崇善堂 112,267体、
中国赤十字社 22,683体、合計 約178,000体の
埋葬記録がある。さらに 同善堂という団体が7,000体余
を埋葬したとされる。
③市民の埋葬によるもの
市民の手で 合計36,000体あまりを収容・埋葬している。
湖南の木材商 盛世征、昌開運が出資して行った 水西門外の
遺体収容が28,730体、城南市民の 張瀉儒、楊広才らが
難民を組織して 中華門外の 7,000体あまりを 収容、
また、回教徒の埋葬隊が収容・埋葬した遺体は 約400体。
④汪兆銘政権政権によるもの
日本軍の傀儡政権、汪兆銘政権(南京政府) の市、区の
両級機関の 共同組織が 7,400体を 収容・埋葬した。
うち、第一区役場が 1938年2月に 同区の所轄内で
1,233体を収容。下関区役場が37年12月15日から
38年1月までに、3,240体を収容。 南京市政公署の
監督官高冠吾が 38年12月から 39年の 春にかけて、
衛生局に命じ、中山門外の霊谷寺、馬群一帯の3,000体
あまりを 収容している。
⑤南京進駐日本軍によるもの
日本軍は 部隊を動員して 合計15万体を焼却・処理した。
うち、南京停泊場の司令部の 足立少佐と 大田寿男が率いた
部隊は、10万体を 長江に投げ捨てたり、江北に運んで焼却・
土中に埋めたとされている。 南京に侵攻した部隊が処理した
ものは、5万体。
上述した 遺体収容・埋葬処理の記録を 単純に加算すると
40万体にのぼる。 ただし、収容・処理された 遺体には
重複して集計されたものも 含まれている可能性がある。
また、捕虜や市民ではなく、交戦中に戦死した中国軍兵士の
遺体も相当数 含まれている と考えるべきだろう。
なお、日本軍の 記録によれば、揚子江に 投げ込んだり、
城外において 密かに埋めた遺体も 数多い と思われる。
収容できなかったものは記録されず、正確な数を把握する
ことは、ほぼ 不可能である と言える。 したがって、
公式には、東京裁判が 認定した 南京大虐殺の犠牲者数
「30万人以上」 としか 言えないのだ。
南京大学(旧金陵大学) 天文台そばの金陵大学難民収容所及
遇難同胞記念碑、紫金山を望む中山陵(孫文陵)近くにある
集団埋葬地などは その一つ。 また、北極山の 至る所に
埋められた遺体叢葬の記念碑の数は、じつに 二千を超える。
資料によると、犠牲者の遺体は 次の5つのルートで 埋葬、
処理された と考えられる。
①国際委員会によるもの
同委員会のメンバーであるベイツは、戦後の東京裁判で証言し、
南京陥落後 72時間以内に、国際委員会が雇った 労働者が
埋葬した軍人・市民の遺体は「3万体に達した」と語っている。
②慈善団体や宗教団体等によるもの
南京城内外に放置された 遺体の埋葬作業にあたった 団体で、
紅卍会 43,123体、 崇善堂 112,267体、
中国赤十字社 22,683体、合計 約178,000体の
埋葬記録がある。さらに 同善堂という団体が7,000体余
を埋葬したとされる。
③市民の埋葬によるもの
市民の手で 合計36,000体あまりを収容・埋葬している。
湖南の木材商 盛世征、昌開運が出資して行った 水西門外の
遺体収容が28,730体、城南市民の 張瀉儒、楊広才らが
難民を組織して 中華門外の 7,000体あまりを 収容、
また、回教徒の埋葬隊が収容・埋葬した遺体は 約400体。
④汪兆銘政権政権によるもの
日本軍の傀儡政権、汪兆銘政権(南京政府) の市、区の
両級機関の 共同組織が 7,400体を 収容・埋葬した。
うち、第一区役場が 1938年2月に 同区の所轄内で
1,233体を収容。下関区役場が37年12月15日から
38年1月までに、3,240体を収容。 南京市政公署の
監督官高冠吾が 38年12月から 39年の 春にかけて、
衛生局に命じ、中山門外の霊谷寺、馬群一帯の3,000体
あまりを 収容している。
⑤南京進駐日本軍によるもの
日本軍は 部隊を動員して 合計15万体を焼却・処理した。
うち、南京停泊場の司令部の 足立少佐と 大田寿男が率いた
部隊は、10万体を 長江に投げ捨てたり、江北に運んで焼却・
土中に埋めたとされている。 南京に侵攻した部隊が処理した
ものは、5万体。
上述した 遺体収容・埋葬処理の記録を 単純に加算すると
40万体にのぼる。 ただし、収容・処理された 遺体には
重複して集計されたものも 含まれている可能性がある。
また、捕虜や市民ではなく、交戦中に戦死した中国軍兵士の
遺体も相当数 含まれている と考えるべきだろう。
なお、日本軍の 記録によれば、揚子江に 投げ込んだり、
城外において 密かに埋めた遺体も 数多い と思われる。
収容できなかったものは記録されず、正確な数を把握する
ことは、ほぼ 不可能である と言える。 したがって、
公式には、東京裁判が 認定した 南京大虐殺の犠牲者数
「30万人以上」 としか 言えないのだ。
これは メッセージ 1059 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.