12月22日 ラーベの日記
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/11/13 15:33 投稿番号: [1033 / 2250]
十二月二十二日
《 軍事警察本部からだといって日本人が二人訪ねてきた。
日本側でも難民委員会をつくることになった由。
従って難民はすべて登録しなければならない。
「悪人ども」(つまり中国人元兵士) は特別収容所に入れることになったといっている。
登録を手伝ってくれないかといわれ、ひきうけた。
そのあいだも、軍の放火はやまない。火事が上海商業儲蓄銀行のそばの家、
つまりメインストリートの西側にまで拡がったら、とはらはらしどおしだ。
あのあたりはもう安全区に入っている。 そうなったらわが家も危ない。
仲間と安全区の中を片づけていたら、市民の死体がたくさん沼に浮かんでいるのを
みつけた (たった一つの沼だけで三十体あった) 。ほとんどは手をしばられている。
中には首のまわりに石をぶら下げられている人もいた。
わが家の難民はいまだに増えるいっぽうだ。私の小さな書斎だけでも六人が寝ている。
オフィスと庭も見わたすかぎり難民で埋まっており、燃えさかる炎に照らされて
だれもが血のように赤く染まっている。今数えただけでも、七カ所で火災がおこっている。
私は日本軍に申し入れた。発電所の作業員を集めるのを手伝おう。下関には
発電所の労働者が五十四人ほど収容されているはずだから、まず最初にそこへ行くように。
ところが、なんとそのうちの四十三人が処刑されていたのだ!
それは三、四日前のことで、しばられて、河岸へ連れていかれ、機銃掃射されたという。
政府の企業で働いていたからというのが処刑理由だ。
これを知らせてきたのは、おなじく処刑されるはずだったひとりの作業員だ。
そばの二人が撃たれ、その下じきになったまま河に落ちて、助かったということだった。
今日の午後、酔っぱらった日本兵に中国人が銃剣で首を突かれた。
それを知って助けにいったクレーガーとハッツの二人も襲われた。
ハッツは椅子を使って身を守った。
だが、クレーガーのほうは日本兵にしばられそうになった。
やけどした左手を包帯でつっていなければ、そうはならなかっただろうが。
フィッチと私が車でかけつける途中、むこうから二人がもどってくるのに出くわした。
フィッチと私は二人をのせてただちに現場にむかった。
するとその兵隊は、偶然通りかかった日本の将校から平手打ちを食っていた。
そばには日本大使館の田中氏もいた。
その日本兵はどうやらクレーガーたちに不利になるような報告をしたらしい。
しかし、将校はかまわずなぐり続け、ついにそいつは目に涙をためた。
この事件は我々にとって悪い結果にはならなかった。
だが、いつもそうなるとはかぎらない。
* 「安全区の中・・・、市民の死体がたくさん沼に・・・(たった一つの沼だけ
で三十体あった)。ほとんどは手をしばられている。
中には首のまわりに石をぶら下げられて」
これを見て、ラーベ達は疑わないのだろうか?
日本軍は便衣兵を摘発して連行し、別の所で処刑していたはず。
安全区の中でそんな事をしたら市民に見られるだろう。
かつ、それでは何人殺したか上層部が確認できないから、戦果として計上できない。
児島襄著 『日中戦争4』 238〜239p に、入場式の前の死体片づけで、
崇善堂に依頼したが、四十人しか作業員を集められず、
いくつかの池に投棄したとあった。
その時の死体ではないのか。
《 軍事警察本部からだといって日本人が二人訪ねてきた。
日本側でも難民委員会をつくることになった由。
従って難民はすべて登録しなければならない。
「悪人ども」(つまり中国人元兵士) は特別収容所に入れることになったといっている。
登録を手伝ってくれないかといわれ、ひきうけた。
そのあいだも、軍の放火はやまない。火事が上海商業儲蓄銀行のそばの家、
つまりメインストリートの西側にまで拡がったら、とはらはらしどおしだ。
あのあたりはもう安全区に入っている。 そうなったらわが家も危ない。
仲間と安全区の中を片づけていたら、市民の死体がたくさん沼に浮かんでいるのを
みつけた (たった一つの沼だけで三十体あった) 。ほとんどは手をしばられている。
中には首のまわりに石をぶら下げられている人もいた。
わが家の難民はいまだに増えるいっぽうだ。私の小さな書斎だけでも六人が寝ている。
オフィスと庭も見わたすかぎり難民で埋まっており、燃えさかる炎に照らされて
だれもが血のように赤く染まっている。今数えただけでも、七カ所で火災がおこっている。
私は日本軍に申し入れた。発電所の作業員を集めるのを手伝おう。下関には
発電所の労働者が五十四人ほど収容されているはずだから、まず最初にそこへ行くように。
ところが、なんとそのうちの四十三人が処刑されていたのだ!
それは三、四日前のことで、しばられて、河岸へ連れていかれ、機銃掃射されたという。
政府の企業で働いていたからというのが処刑理由だ。
これを知らせてきたのは、おなじく処刑されるはずだったひとりの作業員だ。
そばの二人が撃たれ、その下じきになったまま河に落ちて、助かったということだった。
今日の午後、酔っぱらった日本兵に中国人が銃剣で首を突かれた。
それを知って助けにいったクレーガーとハッツの二人も襲われた。
ハッツは椅子を使って身を守った。
だが、クレーガーのほうは日本兵にしばられそうになった。
やけどした左手を包帯でつっていなければ、そうはならなかっただろうが。
フィッチと私が車でかけつける途中、むこうから二人がもどってくるのに出くわした。
フィッチと私は二人をのせてただちに現場にむかった。
するとその兵隊は、偶然通りかかった日本の将校から平手打ちを食っていた。
そばには日本大使館の田中氏もいた。
その日本兵はどうやらクレーガーたちに不利になるような報告をしたらしい。
しかし、将校はかまわずなぐり続け、ついにそいつは目に涙をためた。
この事件は我々にとって悪い結果にはならなかった。
だが、いつもそうなるとはかぎらない。
* 「安全区の中・・・、市民の死体がたくさん沼に・・・(たった一つの沼だけ
で三十体あった)。ほとんどは手をしばられている。
中には首のまわりに石をぶら下げられて」
これを見て、ラーベ達は疑わないのだろうか?
日本軍は便衣兵を摘発して連行し、別の所で処刑していたはず。
安全区の中でそんな事をしたら市民に見られるだろう。
かつ、それでは何人殺したか上層部が確認できないから、戦果として計上できない。
児島襄著 『日中戦争4』 238〜239p に、入場式の前の死体片づけで、
崇善堂に依頼したが、四十人しか作業員を集められず、
いくつかの池に投棄したとあった。
その時の死体ではないのか。
これは メッセージ 1025 (kireigotowadame さん)への返信です.