戦争長期化へのあきらめ
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/11/09 18:40 投稿番号: [1029 / 2250]
児島襄著
『日中戦争4』
254〜256p
《 南京陥落をむかえた日本では、しきりに戦勝ムードが強調されたが、
政府、軍幹部の多くは、一致して別の想いにさそわれていた。
「戦争長期化へのあきらめ」
であったというのが、陸軍省軍事課長田中新一大佐の回想である。
たとえば、内閣書記官長風見章によれば、当時の首相近衛文麿は、こんごの
「日中戦争」 の見とおしについて、次のような判断をくだしていた、という。
「国民政府はやがて一地方政権に転落するであろうから、
日本が長期戦にひきずりこまれる心配は少なく、
新政権の育成により時局収拾の道がひらかれる」
だが、かりに新政権による時局収拾が可能になるにしても、
それは、一地方政権に転落した蒋介石政権が完全に崩壊するか、降伏するか、
どちらかになる場合であり、それまでは戦争はつづかざるを得ない。
つまりは、 「長期戦」 である。
軍事課長田中大佐も、新政権育成に賛成する、長期戦論者である。
ただし、近衛首相とその意見に同調する政府の大部分が、
南京攻略で 〝勝った〟 との楽観にたっていたとすれば、
大佐は、むしろ、悲観を前提にして考えていた。
世界は、明らかに第二の世界大戦にむかって歩をはやめている。
ドイツ、イタリヤにたいする米、英、ソ連という陣営がはっきりしており、
日本が前者のグループ寄りであれば、中国は後者の陣営にくみこまれている。
「究極するところ、容共抗日をあくまで固守する国民政府は、
ソ連および米英の傀儡政権であり……国際連盟や米国の態度は、
日中抗争を長期化する有力な背景をなしていた」
いいかえれば、蒋介石は 「日中戦争」 を中止できない環境にあるとも、いえよう。
となると、日本が中国に地歩を確保するためには、すでに中国が
「西北共産支那」 と 「国民政府支那」 にわかれていると考えれば、
占領地を 「親日支那」 にして持久する以外に道はないであろう。
「百年かかっても新興支那を建設して、
これと日支関係を根本的に調整することが、基本的目標とならざるを得ない」
この近衛首相の 〝楽観的新政権論〟 と、田中大佐に代表される
〝悲観的新興支那論〟 は、いちはやく、南京陥落の日に、北京に誕生した
「中華民国臨時政府」(行政委員長王克敏) として実現していた。
政府、企業、さらには一般国民も、戦勝と新政権の発足によって北支が
〝第二の満州国〟になるものとみこみ、進出をきそいはじめている……。
参謀本部、とくに次長多田駿中将と第二課 (作戦、戦争指導) は、
しかし、日本の国力にそぐわない長期戦に反対であり、
新政権の育成などというまわり道をせず、
現に中国の統一政権である蒋介石政府と講和して事変を終結すべきだ、と判定していた。
「此ノ時機ヲ失シタラ 愈々長期戦ニ陥ルカラ、 多少ノ不満ヲ忍ンデモ、
媾和成立ニ導クベシ」
というのが、次長多田中将の 「信念」 でもあった。》
《 南京陥落をむかえた日本では、しきりに戦勝ムードが強調されたが、
政府、軍幹部の多くは、一致して別の想いにさそわれていた。
「戦争長期化へのあきらめ」
であったというのが、陸軍省軍事課長田中新一大佐の回想である。
たとえば、内閣書記官長風見章によれば、当時の首相近衛文麿は、こんごの
「日中戦争」 の見とおしについて、次のような判断をくだしていた、という。
「国民政府はやがて一地方政権に転落するであろうから、
日本が長期戦にひきずりこまれる心配は少なく、
新政権の育成により時局収拾の道がひらかれる」
だが、かりに新政権による時局収拾が可能になるにしても、
それは、一地方政権に転落した蒋介石政権が完全に崩壊するか、降伏するか、
どちらかになる場合であり、それまでは戦争はつづかざるを得ない。
つまりは、 「長期戦」 である。
軍事課長田中大佐も、新政権育成に賛成する、長期戦論者である。
ただし、近衛首相とその意見に同調する政府の大部分が、
南京攻略で 〝勝った〟 との楽観にたっていたとすれば、
大佐は、むしろ、悲観を前提にして考えていた。
世界は、明らかに第二の世界大戦にむかって歩をはやめている。
ドイツ、イタリヤにたいする米、英、ソ連という陣営がはっきりしており、
日本が前者のグループ寄りであれば、中国は後者の陣営にくみこまれている。
「究極するところ、容共抗日をあくまで固守する国民政府は、
ソ連および米英の傀儡政権であり……国際連盟や米国の態度は、
日中抗争を長期化する有力な背景をなしていた」
いいかえれば、蒋介石は 「日中戦争」 を中止できない環境にあるとも、いえよう。
となると、日本が中国に地歩を確保するためには、すでに中国が
「西北共産支那」 と 「国民政府支那」 にわかれていると考えれば、
占領地を 「親日支那」 にして持久する以外に道はないであろう。
「百年かかっても新興支那を建設して、
これと日支関係を根本的に調整することが、基本的目標とならざるを得ない」
この近衛首相の 〝楽観的新政権論〟 と、田中大佐に代表される
〝悲観的新興支那論〟 は、いちはやく、南京陥落の日に、北京に誕生した
「中華民国臨時政府」(行政委員長王克敏) として実現していた。
政府、企業、さらには一般国民も、戦勝と新政権の発足によって北支が
〝第二の満州国〟になるものとみこみ、進出をきそいはじめている……。
参謀本部、とくに次長多田駿中将と第二課 (作戦、戦争指導) は、
しかし、日本の国力にそぐわない長期戦に反対であり、
新政権の育成などというまわり道をせず、
現に中国の統一政権である蒋介石政府と講和して事変を終結すべきだ、と判定していた。
「此ノ時機ヲ失シタラ 愈々長期戦ニ陥ルカラ、 多少ノ不満ヲ忍ンデモ、
媾和成立ニ導クベシ」
というのが、次長多田中将の 「信念」 でもあった。》
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