原爆で虐殺された日本人は60万人
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/02/26 20:17 投稿番号: [8102 / 8458]
原爆・長崎・広島の被害者数は,広島40万長崎20万,(現在まで年々原爆被災で死んでいく原爆被災者を含む。)
(1)当時、日本は戦争終結に向けソ連に仲裁を求めていました。ソ連はそれを無視し連合国側となったわけですが、日本政府の関心はもっぱら終戦に向け「天皇の立場」の保障でした。最初のポツダム宣言に保障は書かれていませんでした。返答の期日も明記してありませんでした。
(もっとも原爆投下命令はポツダム宣言以前に出されていましたが)日本側は原爆という具体的なものではなく特殊な強力兵器の一種を米が開発したとの情報は知っていたようです。
アメリカは返事を待たずに二発目の長崎型(プルトニウム)を投下したのですが、その後に連合軍は天皇の地位を保証する旨を通達してきました。そして終戦です。
広島の被害(原爆の正体)が分る前に二つ目が落とされた事、軍が政治を握っていた事も”動き”が遅くなった要因のようです。日本は壊滅状態にあり市民はそれどころ
ではない状態でした。当時の価値観は今と相当の開きがあります。
(2)戦後ラジオなどを使い「真相はこうだ」といった番組が1年近く流されました。GHQによる統治の始まりです。軍関係の事はほとんど「悪」に塗り替えられたようです。様々な記録も軍やGHQにより破棄されました。公的記録が事実ともいえないところです。
アメリカの良心について
当時アメリカはオサマビンラディンに対するように集団ヒステリー状態でした。最初の原爆を自国で実験したときにその威力に驚きはしても計画中止には至りませんでした。中には開発に反対の人も居ましたが少数でした。「世界警察」として強いアメリカを誇りにする軍人に殺人の命令が来れば人としての心は影を潜めるのでしょう。
現場が彼らを動かしたのです。もちろん宋美齢が涙ながらに教会で巡礼をしたことは、日本を「東洋の極悪国」に位置付ける格好の材料になったのですが・・・
当時の先進諸国がどの様であったかはすりかえられているのでしょうね。
歴史は作られるとは良く言ったものだと思います。
「原爆投下は多くの命を救った」事を信じる事で殺人者の汚名を着ない(着せない)のですから悪夢は見るかもしれませんし、後の支援は行ってもそのこと自体はどうでしょうか・・資料館で涙を流されるアメリカの方は少数派です。これが現実だと思います。
広島原爆資料館,説明指導員の話をまとめました。
これは メッセージ 1 (keisatsufushouji さん)への返信です.
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