Re: 国連が慰安婦制度を認定
投稿者: chattppy2001 投稿日時: 2012/02/23 02:15 投稿番号: [24 / 31]
1990年12月18日の毎日新聞で下記のような記事が掲載された。
「ナチスでさえ憤り」と題して1937年12月13日に旧日本軍が・南京に入城した際に起きたいわゆる「南京大虐殺事件」に関するドイツ外交官の現地からの詳細な報告文書が旧東ドイツ国立中央公文書館(現在、ドイツ連邦公文書館ポツダム支所)に保存されていることがわかった。
文書は旧日本軍の行動を「グロイエルターテン(残虐行為)」(三八年一月一五日付け報告)と表現、日本兵が市内で多数の市民を殺りくし、女性に対する暴行や「略奪の限りを
つくしていた」と伝えている。
当時のドイツは日本と防共協定(三六年)を結んでいた。しかし現地の外交官は中国での
日本の行動は反発を買い、かえって「共産主義培養」することにつながると厳しく批判していたことも明らかになった。
南京大虐殺に関するこれまでの外国人の証言の中で最も具体的かつ詳細だ。
外交文書という公文書であり信頼性も高い当時の同盟国だったドイツの外交官が日本軍の
残虐行為に率直に憤りを示しており正直言って驚いた。(中略)後にユダヤ人の残虐行為をした党員の中にも健全な精神を持っている人がいたことがよくわかる。と栗屋憲太郎立教大学教授(近代史)の意見を添えて掲載していた。
外交文書の要旨は次の通り。
南京情勢に関するロイター通信スミス記者の講演(38年1月1日付、漢口発ドイツ情報局あて」
37年12月12日中国軍一個師団が市内に入ったが、夕方、市内南部から全面撤退開始。約千人の残留部位も真夜中までにせん滅された。
北門前には一㍍ほどの高さになった兵士と民間人の死体がある。私の推測では千人程か。
14日昼頃から日本兵は部隊所属章を外して略奪を始めた。
15日略奪が続き、多くの中国人女性、少女が自宅から連れ去られた。日本軍が広場で
中国人数千人を縛り上げ、射殺するため少人数のグループに分けた。
中国人はひざまずかされ後頭部に銃弾を打ち込まれる。
こうして殺された人を百人ほど目撃した。
日本軍の残虐行為と南京情勢(38年1月15日付)
一、外交代表らが南京に戻りたいとの意向を示すと、清掃作業が始められた。
民間人の大量虐殺によって「ニシンのように」路上のあちこちに放置された死体が取 り除かれた。
一、ある女性は首を半分だけ切られた。別の妊婦は腹部に銃剣を刺されて、おなかの子供を殺された。南京分館スン職員のメモ(二月十日付)
一、南京自治政府委員会幹部のヤン・チウミン氏から聞いた話。松井石根大将(中支方面軍司令官)は二月八日、委員会の高官を招き「日本軍が南京入城に際していくつかの不名
誉な行いをしたことは遺憾に思う」と述べた。
日本軍の残虐行為の映像(二月十日付)
一、米国聖公会のジョン・マギー牧師は日本軍の行為を撮影、これは日本軍の残虐行為を雄弁に物語っている。
同封した英文の解説は、映画同様、身の毛もよだつドキュメントであり、総統にもぜひ見てほしい。
一、二月六日、ラーベ氏(ナチス党南京支部長)は紅卍字会が百二十人以上の死体を沼の
中から収用したのを目撃した。機関銃の一斉射撃を受けた遺体の消却は手間がかかりすぎるため水中に投げ捨てられたのだ。両手は頭の後で針金で縛りつけられていた。
一、この映像は日本軍南京侵攻以降の出来事の記録である。
敵というだけで中国人なら何をしても構わないという日本軍の姿勢がうかがえる。
女性への暴行は当たり前のことのようだ。日本人を含めたすべての人々にこの戦争の恐ろしさを認識してもらいたい。
一、死体の総数について具体的な言及はないがローゼン書記官は「郊外の下関港には処刑された約三万体の死体が流れ着いており、紅卍会は毎日五百体〜六〇〇体の死体を共同墓地に埋葬している。」(三八年三月四日付)と報告、大規模な虐殺があったことを裏付けている。中国人の死体の山をたどっていくと日本軍にたどりついたという生々しい証言もある。
三万体でも多いのだがこれは、ほんの一部だとすると数十万人の大規模な虐殺が行われたのは事実であるようだ。
「ナチスでさえ憤り」と題して1937年12月13日に旧日本軍が・南京に入城した際に起きたいわゆる「南京大虐殺事件」に関するドイツ外交官の現地からの詳細な報告文書が旧東ドイツ国立中央公文書館(現在、ドイツ連邦公文書館ポツダム支所)に保存されていることがわかった。
文書は旧日本軍の行動を「グロイエルターテン(残虐行為)」(三八年一月一五日付け報告)と表現、日本兵が市内で多数の市民を殺りくし、女性に対する暴行や「略奪の限りを
つくしていた」と伝えている。
当時のドイツは日本と防共協定(三六年)を結んでいた。しかし現地の外交官は中国での
日本の行動は反発を買い、かえって「共産主義培養」することにつながると厳しく批判していたことも明らかになった。
南京大虐殺に関するこれまでの外国人の証言の中で最も具体的かつ詳細だ。
外交文書という公文書であり信頼性も高い当時の同盟国だったドイツの外交官が日本軍の
残虐行為に率直に憤りを示しており正直言って驚いた。(中略)後にユダヤ人の残虐行為をした党員の中にも健全な精神を持っている人がいたことがよくわかる。と栗屋憲太郎立教大学教授(近代史)の意見を添えて掲載していた。
外交文書の要旨は次の通り。
南京情勢に関するロイター通信スミス記者の講演(38年1月1日付、漢口発ドイツ情報局あて」
37年12月12日中国軍一個師団が市内に入ったが、夕方、市内南部から全面撤退開始。約千人の残留部位も真夜中までにせん滅された。
北門前には一㍍ほどの高さになった兵士と民間人の死体がある。私の推測では千人程か。
14日昼頃から日本兵は部隊所属章を外して略奪を始めた。
15日略奪が続き、多くの中国人女性、少女が自宅から連れ去られた。日本軍が広場で
中国人数千人を縛り上げ、射殺するため少人数のグループに分けた。
中国人はひざまずかされ後頭部に銃弾を打ち込まれる。
こうして殺された人を百人ほど目撃した。
日本軍の残虐行為と南京情勢(38年1月15日付)
一、外交代表らが南京に戻りたいとの意向を示すと、清掃作業が始められた。
民間人の大量虐殺によって「ニシンのように」路上のあちこちに放置された死体が取 り除かれた。
一、ある女性は首を半分だけ切られた。別の妊婦は腹部に銃剣を刺されて、おなかの子供を殺された。南京分館スン職員のメモ(二月十日付)
一、南京自治政府委員会幹部のヤン・チウミン氏から聞いた話。松井石根大将(中支方面軍司令官)は二月八日、委員会の高官を招き「日本軍が南京入城に際していくつかの不名
誉な行いをしたことは遺憾に思う」と述べた。
日本軍の残虐行為の映像(二月十日付)
一、米国聖公会のジョン・マギー牧師は日本軍の行為を撮影、これは日本軍の残虐行為を雄弁に物語っている。
同封した英文の解説は、映画同様、身の毛もよだつドキュメントであり、総統にもぜひ見てほしい。
一、二月六日、ラーベ氏(ナチス党南京支部長)は紅卍字会が百二十人以上の死体を沼の
中から収用したのを目撃した。機関銃の一斉射撃を受けた遺体の消却は手間がかかりすぎるため水中に投げ捨てられたのだ。両手は頭の後で針金で縛りつけられていた。
一、この映像は日本軍南京侵攻以降の出来事の記録である。
敵というだけで中国人なら何をしても構わないという日本軍の姿勢がうかがえる。
女性への暴行は当たり前のことのようだ。日本人を含めたすべての人々にこの戦争の恐ろしさを認識してもらいたい。
一、死体の総数について具体的な言及はないがローゼン書記官は「郊外の下関港には処刑された約三万体の死体が流れ着いており、紅卍会は毎日五百体〜六〇〇体の死体を共同墓地に埋葬している。」(三八年三月四日付)と報告、大規模な虐殺があったことを裏付けている。中国人の死体の山をたどっていくと日本軍にたどりついたという生々しい証言もある。
三万体でも多いのだがこれは、ほんの一部だとすると数十万人の大規模な虐殺が行われたのは事実であるようだ。
これは メッセージ 1 (リュウ さん)への返信です.
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