「ザルカウィ」の真実(連載04)
投稿者: bonno_216 投稿日時: 2006/07/05 17:57 投稿番号: [93341 / 118550]
●終幕を巡る不協和音
ブッシュ大統領が再選され、イラク国民議会選挙も無事終了した2005年2月の段階になると、ホワイトハウスにとって「ザルカウィ」は、さほど利用価値のないものになってきました。
しかし、ペンタゴンとイラク駐留米軍にとって「ザルカウィ」は、都市攻撃の口実として、まだまだ必要不可欠な存在だったのです。
そんな折も折、ラマディで「自演テロ」を指揮中だったクタイバが米軍パトロール部隊に逮捕、拘束されてしまいます。「ザルカウィ劇場」の裏幕を知らなかったアンバル州駐留米軍の司令官は、この時初めて「ザルカウィ」が、とっくの昔に死亡している人物であったことを知らされたのです。
慌てたのはペンタゴンとCIAでした。至急、現地司令官に「箝口令」を敷き「クタイバ逮捕」を「ザルカウィの逮捕に失敗」と改題して発表しました。
ドジを踏んだクタイバは「監督」を解任され、ヨルダンに送還されます。いまや「ザルカウィ」は顔だけでなく頭脳まで失ってしまった…というわけですね。
CIAは、この期に「ザルカウィ劇場」の幕引きを画策しました。2005年5月、カイム〜ヒートの戦闘で「ザルカウィが瀕死の重傷を負った」という噂が広められたのです。何日か後に米軍が「ザルカウィの死亡を確認」すれば、それで幕引きは完了する段取りでした。
しかし、ペンタゴンと現地米軍は、このシナリオを拒否しました。クタイバの解任で霧散した「ザルカウィ派」は、現地米軍の手によって「再編成」されました。必要な人員はISIからの「外人部隊」ではなく、イラク人の捕虜で、米軍に協力を誓った者達が集められました。
現地米軍司令部は「ザルカウィ派」を「宗派抗争」の火種に使おうと考えたのです。その結果「ザルカウィ」は、それまでの「反米」から「反シーア派」の闘士へと衣替えすることになってしまいました。
同年10月、米軍の指揮する「新・ザルカウィ派」が、録音テープでイラク・シーア派に「宣戦布告」します。ホワイトハウスとCIAは、このころになって「新・ザルカウィ派」を追認し、相乗り利用しようと考え始めました。
11月にヨルダンのアンマンで連続ホテル爆破テロが発生。これは、ヨルダン滞在中の中国軍事顧問団をターゲットにしたCIA主導のテロだったのですが、「新・ザルカウィ派」が犯行声明を出し、ファルージャのイラク人女性が「自爆未遂犯」として自供することにより、犯行を「死人(ザルカウィ)」になすり付ける…という謀略を成功させたのです。
一方、駐留米軍はラマディ攻撃の口実に「新・ザルカウィ派」を利用しました。12月、ラマディのアンバル州庁舎前に「イラクのアルカイダ機構」戦士、約400名を集合させ「アルカイダを讃えるビラ」を撒かせたのです。
このように、様々な組織から「便利使い」されたため、「新・ザルカウィ派」は神出鬼没な上に縮地術を駆使するスーパー・テロ軍団でありながら、全く一貫した行動原理を持たない陳腐な組織として認識されることとなってしまいました。
また、アンマンのテロを受けて、ヨルダンに在住していたカライラの親族が「我々は『ザルカウィ』なる人物と無関係である」と発表しましたが、アラブ系を含むマスコミは全てこれを「ザルカウィの親族、ザルカウィに『絶縁宣言』」と、歪曲して報道しました。これは「親族からも見放された哀れで、凶悪なテロリスト」というイメージを植え付ける情報操作なのです。
(つづく)
ブッシュ大統領が再選され、イラク国民議会選挙も無事終了した2005年2月の段階になると、ホワイトハウスにとって「ザルカウィ」は、さほど利用価値のないものになってきました。
しかし、ペンタゴンとイラク駐留米軍にとって「ザルカウィ」は、都市攻撃の口実として、まだまだ必要不可欠な存在だったのです。
そんな折も折、ラマディで「自演テロ」を指揮中だったクタイバが米軍パトロール部隊に逮捕、拘束されてしまいます。「ザルカウィ劇場」の裏幕を知らなかったアンバル州駐留米軍の司令官は、この時初めて「ザルカウィ」が、とっくの昔に死亡している人物であったことを知らされたのです。
慌てたのはペンタゴンとCIAでした。至急、現地司令官に「箝口令」を敷き「クタイバ逮捕」を「ザルカウィの逮捕に失敗」と改題して発表しました。
ドジを踏んだクタイバは「監督」を解任され、ヨルダンに送還されます。いまや「ザルカウィ」は顔だけでなく頭脳まで失ってしまった…というわけですね。
CIAは、この期に「ザルカウィ劇場」の幕引きを画策しました。2005年5月、カイム〜ヒートの戦闘で「ザルカウィが瀕死の重傷を負った」という噂が広められたのです。何日か後に米軍が「ザルカウィの死亡を確認」すれば、それで幕引きは完了する段取りでした。
しかし、ペンタゴンと現地米軍は、このシナリオを拒否しました。クタイバの解任で霧散した「ザルカウィ派」は、現地米軍の手によって「再編成」されました。必要な人員はISIからの「外人部隊」ではなく、イラク人の捕虜で、米軍に協力を誓った者達が集められました。
現地米軍司令部は「ザルカウィ派」を「宗派抗争」の火種に使おうと考えたのです。その結果「ザルカウィ」は、それまでの「反米」から「反シーア派」の闘士へと衣替えすることになってしまいました。
同年10月、米軍の指揮する「新・ザルカウィ派」が、録音テープでイラク・シーア派に「宣戦布告」します。ホワイトハウスとCIAは、このころになって「新・ザルカウィ派」を追認し、相乗り利用しようと考え始めました。
11月にヨルダンのアンマンで連続ホテル爆破テロが発生。これは、ヨルダン滞在中の中国軍事顧問団をターゲットにしたCIA主導のテロだったのですが、「新・ザルカウィ派」が犯行声明を出し、ファルージャのイラク人女性が「自爆未遂犯」として自供することにより、犯行を「死人(ザルカウィ)」になすり付ける…という謀略を成功させたのです。
一方、駐留米軍はラマディ攻撃の口実に「新・ザルカウィ派」を利用しました。12月、ラマディのアンバル州庁舎前に「イラクのアルカイダ機構」戦士、約400名を集合させ「アルカイダを讃えるビラ」を撒かせたのです。
このように、様々な組織から「便利使い」されたため、「新・ザルカウィ派」は神出鬼没な上に縮地術を駆使するスーパー・テロ軍団でありながら、全く一貫した行動原理を持たない陳腐な組織として認識されることとなってしまいました。
また、アンマンのテロを受けて、ヨルダンに在住していたカライラの親族が「我々は『ザルカウィ』なる人物と無関係である」と発表しましたが、アラブ系を含むマスコミは全てこれを「ザルカウィの親族、ザルカウィに『絶縁宣言』」と、歪曲して報道しました。これは「親族からも見放された哀れで、凶悪なテロリスト」というイメージを植え付ける情報操作なのです。
(つづく)
これは メッセージ 93340 (bonno_216 さん)への返信です.
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