Re: 合法なら善なのか?
投稿者: bonno_216 投稿日時: 2006/03/12 15:30 投稿番号: [88899 / 118550]
>テロ行為とは、非戦闘員を対象に暴力行為によって社会に恐怖感を
>及ぼし、自分らの政治的および宗教的な思想を広めようとする行為。
では、目的と手段の牽連性を誰がどうやって認定するのでしょう? ある人物が「暴力行為」を行ったとします。その時、彼の目的が「自分らの政治的および宗教的な思想を広める」ことだったと証明するのは、はたして可能でしょうか?
米国のように「アメリカ式民主主義(=自分らの政治的思想)を広めるために戦争を起こした」と自白してくれれば、テロ行為の認定は容易ですが、ほとんどの社会的暴力行為は動機が不明です。動機を勝手に認定できるなら、非戦闘員に対するあらゆる暴力行為を「テロ」と言えてしまいますよ。そんな恣意的運用が可能な定義は無意味です。
>「法」という名のもの(と?)に決められたことが「善」である
>という考えに納得がいかない
私は「法が善」とは言ってませんよ。暴力行為を善悪で分類しようとしたときに基準とすべきものが「法」だと言ったのです。あなたが言うように「強盗を取り押さえるために警察官が使う暴力は悪ではない」のですが、それは、強盗を取り押さえるために必要であると社会が認めた範囲の暴力に限ります。警官が「強盗を取り押さえるために必要だった」と言えば彼の暴力がすべて正当化されるわけじゃないのです。
ここでも目的と手段の牽連性が問題になります。「強盗を取り押さえる」という目的と「警官の暴力」という手段が、妥当に牽連していたかどうか…それを決めるのは警官本人でもなければ、あなたの個人的価値観でもありません。社会的コンセンサス、すなわち「法」はそのためにあるのです。
文化の違いで「正義」の観念は異なります。女性がベールを被っていないことが「大罪」とされる社会では、その大罪を犯した人物への暴力は「正義」になります。たとえ野蛮かつ非科学的な因習であっても、それが社会防衛に「必要」だというコンセンサスが内部で確立されているのであれば、外部の人間は干渉すべきじゃありません。
たとえば、ヨーロッパでは死刑が野蛮な制度とされていますが、日本や米国や中国では、それが犯罪抑止や社会防衛に必要な制度であるというコンセンサスが確立されているため廃止には至っていないのです。クジラを食べる食文化や犬を食べる食文化も、外部の人たちのデリカシーには触れるでしょうが、内部に於いて合法である限り「悪」と規定することはできません。
「正しいことが合法であるべき」だというのは、そのとおりなんですが、「正しいこと」は人によって、文化によって違いがあります。特定の人物や特定の文化が、倫理的価値観を独占することは「文化の侵略」であり、それを暴力で強要すれば武力侵略という「テロ」になります。まさに「自分の政治的および宗教的思想を広める」ための暴力が、これにあたります。あなたの言う「正義」はあなたの「政治的および思想的思想」そのものである…ということに、そろそろお気付きになってはいかがでしょう?
>及ぼし、自分らの政治的および宗教的な思想を広めようとする行為。
では、目的と手段の牽連性を誰がどうやって認定するのでしょう? ある人物が「暴力行為」を行ったとします。その時、彼の目的が「自分らの政治的および宗教的な思想を広める」ことだったと証明するのは、はたして可能でしょうか?
米国のように「アメリカ式民主主義(=自分らの政治的思想)を広めるために戦争を起こした」と自白してくれれば、テロ行為の認定は容易ですが、ほとんどの社会的暴力行為は動機が不明です。動機を勝手に認定できるなら、非戦闘員に対するあらゆる暴力行為を「テロ」と言えてしまいますよ。そんな恣意的運用が可能な定義は無意味です。
>「法」という名のもの(と?)に決められたことが「善」である
>という考えに納得がいかない
私は「法が善」とは言ってませんよ。暴力行為を善悪で分類しようとしたときに基準とすべきものが「法」だと言ったのです。あなたが言うように「強盗を取り押さえるために警察官が使う暴力は悪ではない」のですが、それは、強盗を取り押さえるために必要であると社会が認めた範囲の暴力に限ります。警官が「強盗を取り押さえるために必要だった」と言えば彼の暴力がすべて正当化されるわけじゃないのです。
ここでも目的と手段の牽連性が問題になります。「強盗を取り押さえる」という目的と「警官の暴力」という手段が、妥当に牽連していたかどうか…それを決めるのは警官本人でもなければ、あなたの個人的価値観でもありません。社会的コンセンサス、すなわち「法」はそのためにあるのです。
文化の違いで「正義」の観念は異なります。女性がベールを被っていないことが「大罪」とされる社会では、その大罪を犯した人物への暴力は「正義」になります。たとえ野蛮かつ非科学的な因習であっても、それが社会防衛に「必要」だというコンセンサスが内部で確立されているのであれば、外部の人間は干渉すべきじゃありません。
たとえば、ヨーロッパでは死刑が野蛮な制度とされていますが、日本や米国や中国では、それが犯罪抑止や社会防衛に必要な制度であるというコンセンサスが確立されているため廃止には至っていないのです。クジラを食べる食文化や犬を食べる食文化も、外部の人たちのデリカシーには触れるでしょうが、内部に於いて合法である限り「悪」と規定することはできません。
「正しいことが合法であるべき」だというのは、そのとおりなんですが、「正しいこと」は人によって、文化によって違いがあります。特定の人物や特定の文化が、倫理的価値観を独占することは「文化の侵略」であり、それを暴力で強要すれば武力侵略という「テロ」になります。まさに「自分の政治的および宗教的思想を広める」ための暴力が、これにあたります。あなたの言う「正義」はあなたの「政治的および思想的思想」そのものである…ということに、そろそろお気付きになってはいかがでしょう?
これは メッセージ 88895 (oxnardnokakashi さん)への返信です.
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