再び普遍の正義
投稿者: oxnardnokakashi 投稿日時: 2005/06/26 04:46 投稿番号: [73954 / 118550]
>>正義はどれだけ多くの人間が賛成するかできまるのではない。
もしイラク戦争が正しい戦争だったのなら、誰が反対しようと正しかったのであり、もし間違っていたのなら世界中の人々全員が賛成しようと間違っていたことになるのだ。
>だがそういった正義は現実には独善と呼ばれるものでしかないのではないのか?
これは何度も言っているのだが、正義というものは人気投票ではない。また主役が誰であろうともその行為が正義であるか悪義であるかが変わるわけでもない。たとえば学校のクラスに鼻つまみものがいたとしよう。別に他人に迷惑をかけているわけではないが、どうも誰からも好かれない子だ。それで意地悪な奴がこいつのパンツをみんなが見てる前で引き下げて恥をかかせたとしよう。クラス中の生徒が喜んで拍手喝さいをした。この行為は悪い好意か?
それとも良い行為か?
反対にパンツを下げられた生徒がクラス中で人気者の子だったら、その行為によってクラス中の生徒がひどく憤慨したら、この行為は悪いのか良いのか?
答えは簡単なはずだ。他人にむやみやたらに恥をかかせる行為が良い好意であるはずはない。その被害者が誰であれ、行為そのものの良し悪しに変わりはないのである。
だから、イラク戦争が正しい戦争だったのかどうかという判断は、どれだけ多くの人々が賛成したかによって決まるのではない。もし、イラク戦争が「賢明な」戦争だったかどうか、犠牲を出してまで戦う価値があったのかどうか、という質問をするのであればそれは全く別問題だがね。
しかし犠牲だけをみて功績を考慮にいれなければ正しく判断することはできない。
これは メッセージ 73948 (whitejazz2005 さん)への返信です.
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