>x4守るべきものを持つ強さ(中)
投稿者: etranger3_01 投稿日時: 2005/06/24 10:22 投稿番号: [73866 / 118550]
侵攻の段階では民主的な手続きを経ていなかった実効支配政府が、侵攻側から何を受け入れたかはこの際関係ありません。それは、人民の意志によるものではないからです。したがって、イラクの人民には、自らの政府に対しても抵抗する権限があります。
フィクションからですが、こんな言葉があります。
「法にしたがうのは市民として当然のことだ。
だが、国家が自らさだめた法に背いて個人の権利を侵そうとしたとき、
それに盲従するのは市民としてはむしろ罪悪だ。
なぜなら民主国家の市民には、国家の犯す罪や誤謬に対して
異議を申したて、批判し、抵抗する権利と義務があるからだよ。」
http://blogs.yahoo.co.jp/etranger3_01/2626931.html
イラクの人民が“どのように”個人としての権利が侵されようとしていると感じているか、人民としての意思が無視されようとしていると感じているか、それはわかりません。しかし人民が現政府に正当な不満を持つ場合、その人民がときには暴力を持ってしても政府を転覆することが可能なのは、合衆国憲法の精神にも反映されていると思います。なぜなら、人民が政府を転覆する手段について、その方法は明記されていないからです。
圧制が過ぎる政府、不正がはびこる政府に対しては、暴力による人民の意思の表現もまた許容されるべきものだと思います。イラクでも、民主主義的価値観に基づいてイラクの人民に真に政府を選ぶ権限があるのならば、その手法は制限されないはずです。これはテロを容認するということではなく、人民の権利として「抵抗する権利」を奪ってはならないという正義を選ぶということです。
合衆国のように、最も進んだ民主制を持っているとされ、社会にもその価値が浸透しているなかでは、暴力による政府転覆の企ては例外視されます。それは、民主制が有効に機能し、定期的な権力の交代が保証されることで人民の意思が政治に反映される形で“穏やかな政府転覆”がなされているからです。しかしイラクにはその基盤がない。そこにイキナリ民主主義的価値観を投与しようとしても、反発が起きるだけです。たった1回の選挙で、人民の意思が適切に反映されたと考えるのは早計でしょう。そこで、「抵抗」の手段が問われることになります。
選挙に参加しなかった人たち、ボイコットした人たち、反対した人たち、それぞれの人たちは、まだ民主化が始まって間もないイラクでどのように「抵抗」のための「声」を上げることができるのか。その手段の一つが、暴力なのでしょう。
民主主義的価値観が浸透していない社会では、当然その価値観に対する教育も充実していません。むしろ、サダム政権下ではその逆のことが教えられていたかもしれない。現在の北朝鮮のようにです。そして彼らはそれを「民主主義」だと信じ込まされていたかもしれない。何しろ「我々は独裁制にある」と宣言する独裁者など現代には一人もいませんからね。国民は自分たちが民主的な体制下にあると思わされ、そのような教育を受けるわけです。その中で、海外で高等教育を受けられるような一握りの上流階級は、真の民主主義が何であるか、自分の国の外がどうなっているかを身を持って知るわけです。
《すみません、まだ続きます…》
フィクションからですが、こんな言葉があります。
「法にしたがうのは市民として当然のことだ。
だが、国家が自らさだめた法に背いて個人の権利を侵そうとしたとき、
それに盲従するのは市民としてはむしろ罪悪だ。
なぜなら民主国家の市民には、国家の犯す罪や誤謬に対して
異議を申したて、批判し、抵抗する権利と義務があるからだよ。」
http://blogs.yahoo.co.jp/etranger3_01/2626931.html
イラクの人民が“どのように”個人としての権利が侵されようとしていると感じているか、人民としての意思が無視されようとしていると感じているか、それはわかりません。しかし人民が現政府に正当な不満を持つ場合、その人民がときには暴力を持ってしても政府を転覆することが可能なのは、合衆国憲法の精神にも反映されていると思います。なぜなら、人民が政府を転覆する手段について、その方法は明記されていないからです。
圧制が過ぎる政府、不正がはびこる政府に対しては、暴力による人民の意思の表現もまた許容されるべきものだと思います。イラクでも、民主主義的価値観に基づいてイラクの人民に真に政府を選ぶ権限があるのならば、その手法は制限されないはずです。これはテロを容認するということではなく、人民の権利として「抵抗する権利」を奪ってはならないという正義を選ぶということです。
合衆国のように、最も進んだ民主制を持っているとされ、社会にもその価値が浸透しているなかでは、暴力による政府転覆の企ては例外視されます。それは、民主制が有効に機能し、定期的な権力の交代が保証されることで人民の意思が政治に反映される形で“穏やかな政府転覆”がなされているからです。しかしイラクにはその基盤がない。そこにイキナリ民主主義的価値観を投与しようとしても、反発が起きるだけです。たった1回の選挙で、人民の意思が適切に反映されたと考えるのは早計でしょう。そこで、「抵抗」の手段が問われることになります。
選挙に参加しなかった人たち、ボイコットした人たち、反対した人たち、それぞれの人たちは、まだ民主化が始まって間もないイラクでどのように「抵抗」のための「声」を上げることができるのか。その手段の一つが、暴力なのでしょう。
民主主義的価値観が浸透していない社会では、当然その価値観に対する教育も充実していません。むしろ、サダム政権下ではその逆のことが教えられていたかもしれない。現在の北朝鮮のようにです。そして彼らはそれを「民主主義」だと信じ込まされていたかもしれない。何しろ「我々は独裁制にある」と宣言する独裁者など現代には一人もいませんからね。国民は自分たちが民主的な体制下にあると思わされ、そのような教育を受けるわけです。その中で、海外で高等教育を受けられるような一握りの上流階級は、真の民主主義が何であるか、自分の国の外がどうなっているかを身を持って知るわけです。
《すみません、まだ続きます…》
これは メッセージ 73865 (etranger3_01 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/bpa5a4a5ia5afipno9tbbh_1/73866.html