三光作戦
投稿者: forever_omegatribe 投稿日時: 2005/05/13 22:34 投稿番号: [71049 / 118550]
田村泰次郎著「裸女のいる隊列」
老百姓、━日本軍にとって、この言葉は、何の人格的な意味もなかった。彼らは野良犬や虫けらと、少しも違う存在ではなかった。長い戦争の期間を通して、日本軍に殺された住民の数は、恐らく日本軍と闘って死んだ中国軍の兵隊の数よりも多いのではないだろうかとさえ、私には思われる。すくなくとも、中国の奥地では、戦場で見る敵兵の死体よりも、農民の数の方が、私達の眼に多く映るのが、普通だったのだ。ある時期においては、ときのは、公然と、住民を皆殺しにしろという命令が出たこともある。ジンメツ作戦というのがそれだった。「おい、今度の作戦は、ジンメツだとよ。」
作戦開始のときになると、兵隊達はそんな噂をしあった。作戦内の部落という部落を焼き払って、生あるものは、犬の子一匹も生かしておかないというのが、建前だった。日本軍全体が、血に狂った鬼の軍隊となった。
住民達に対する日本軍の身の毛のよだつような所業は、私の7年間に渡る戦場生活で幾場面も見ているが、全戦争期間、全戦域にわたって、それがどの位の場面になるかは、想像を絶したものがある。
桑原著「華北戦記」
北シナ方面軍司令部は、きか各兵団の将校に対し。昭和18年4月8日をもって、「焼くな、犯すな、殺すな」と命令したことになっている。しかし私はこのことについて、昭和47年(1972年)にこれを読むまで知らなかった。兵隊は知らなくても中隊長クラスは知っていただろうと思うが、柏崎中隊長の住民殺害はその後も散発的に続いたのである。
第一中隊ばかりでなく北シナ派遣軍の前線部隊は、どの部隊もこのような命令などどこ吹く風で、ますます峻烈「焼き、奪い、殺す」作戦を展開していた。中国側でいう三光作戦である。三光作戦とは、中国語の「焼光(焼き尽くす)」「略光(奪いつくす)」「殺光(殺しつくす)」からとった名で、日本軍の軍事資料ではジンメツ作戦と呼んでいる。
これは メッセージ 70979 (battamama さん)への返信です.
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