パピヨンの視点 3
投稿者: cosmic_belt 投稿日時: 2005/03/10 22:10 投稿番号: [66740 / 118550]
下記は後の方に書いてあったものですが、テーマが上記と同じですので、ここで取り上げます。
●bonno_216さんの発言
****************************************************************************
上でも書きましたが、民主は専権的権力の消滅(不可能ですが)を目指す思想です。しかし、民主国家に於いては「国民」が専権的権力を有します。つまり他国民に自国の決定権を渡さない…という意味で、権利の所有者と非所有者を区別するわけです。このことは、民主国家間に於いても対立や紛争が存在するということに繋がっています。そこで、武力による侵略は、被侵略国の国民にとって民主的権利(国家主権)の侵害ですが、侵略側の国民にとっては他国民が持つ専権的権利を消滅させる=民主化の戦いということになります。ここに「民主国家」は「民主」と相対する…というパラドックスを見ることができます。
****************************************************************************
あなたは結論として
「ここに『民主国家』は『民主』と相対する…というパラドックスを見ることができます」と述べていますが、
民主国家とは民主制度を持つ国家なのですが、その国家から民主制度を取り上げる行為を、
取り上げる側の国家にとっては民主化であると、1億歩譲って仮に認めておきましょう。
確かに被侵略国の民主国家にとっては民主的権利(国家主権)の侵害ですが、
だからと言って、「『民主国家』は『民主』と相対する」という論理は成り立ちません。
例えば、大金を持った人、つまり裕福な人がいたとしましょう。
そして大金を手に入れる行為を裕福化と呼ぶことにします。
そうすると、裕福な人から大金を取り上げる行為は、取り上げる人からみれば、
1歩も譲ることなしに、裕福化と言えるでしょう。
強奪される裕福な人にとっては迷惑なことですが、
だからと言って、「『裕福な人』は『裕福』と相対する」とは言えません。
裕福な人でも、お金はもっと欲しいに決まっています。(笑)
下記も後の方に書いてあったものですが、テーマが上記と同じですので、ここで取り上げます。
●bonno_216さんの発言
**********************************************************************
一方、「統治・支配からの解放」という視点で民主主義を捉えた場合、自分たちを支配しているものが「国家権力」なのですから、これを権力者から取り上げるだけで「民主」は達成されます。国際関係が安定していて、国民一人一人に「自己決定権」という究極の専権的権利さえ守れるならば、もはや国家は不要です。これはアナーキズムの考え方ですが、民主を突き詰めればアナーキズムに到達するのです。何者にも統治・支配されない、完全に自由な個人が、各自の自由意志で共同体を形成し、共存のためのルールを定め、他者の権利を侵害しあわない…。もちろん、これは実現不能なファンタジーなのですが、「民主は国家の枠にとらわれない」の説明にはなるんじゃないでしょうか。
**********************************************************************
上記の核心部分
「民主を突き詰めればアナーキズムに到達するのです。」
の部分ですが、
確かに、世の中が聖人君子ばかりで、「己の欲するところに従いて矩を越えず」という人間
だけなら、国境も民主制度も必要ないかもしれない。
だが、歴史をみればわかるように、放っておけば、力のある者が独裁に走るのが現実です。
ですから、国の主を民にするための所謂、民主制度が考えられました。
民主制度を突き詰める行為自体が、既に国或いはそれに準ずる共同体を
前提にしています。
世の中の理想とする姿を突き詰めれば、アナーキズムに到達するかもしれないが、
それは民主を突き詰めているわけではない。
究極の理想的世界ならば、国の主を民にする制度(民主制度)など、必要ないと言ってるだけであり、
民主という概念が国家を前提にしないでも存在するという貴方の考えは間違いです。
●bonno_216さんの発言
****************************************************************************
上でも書きましたが、民主は専権的権力の消滅(不可能ですが)を目指す思想です。しかし、民主国家に於いては「国民」が専権的権力を有します。つまり他国民に自国の決定権を渡さない…という意味で、権利の所有者と非所有者を区別するわけです。このことは、民主国家間に於いても対立や紛争が存在するということに繋がっています。そこで、武力による侵略は、被侵略国の国民にとって民主的権利(国家主権)の侵害ですが、侵略側の国民にとっては他国民が持つ専権的権利を消滅させる=民主化の戦いということになります。ここに「民主国家」は「民主」と相対する…というパラドックスを見ることができます。
****************************************************************************
あなたは結論として
「ここに『民主国家』は『民主』と相対する…というパラドックスを見ることができます」と述べていますが、
民主国家とは民主制度を持つ国家なのですが、その国家から民主制度を取り上げる行為を、
取り上げる側の国家にとっては民主化であると、1億歩譲って仮に認めておきましょう。
確かに被侵略国の民主国家にとっては民主的権利(国家主権)の侵害ですが、
だからと言って、「『民主国家』は『民主』と相対する」という論理は成り立ちません。
例えば、大金を持った人、つまり裕福な人がいたとしましょう。
そして大金を手に入れる行為を裕福化と呼ぶことにします。
そうすると、裕福な人から大金を取り上げる行為は、取り上げる人からみれば、
1歩も譲ることなしに、裕福化と言えるでしょう。
強奪される裕福な人にとっては迷惑なことですが、
だからと言って、「『裕福な人』は『裕福』と相対する」とは言えません。
裕福な人でも、お金はもっと欲しいに決まっています。(笑)
下記も後の方に書いてあったものですが、テーマが上記と同じですので、ここで取り上げます。
●bonno_216さんの発言
**********************************************************************
一方、「統治・支配からの解放」という視点で民主主義を捉えた場合、自分たちを支配しているものが「国家権力」なのですから、これを権力者から取り上げるだけで「民主」は達成されます。国際関係が安定していて、国民一人一人に「自己決定権」という究極の専権的権利さえ守れるならば、もはや国家は不要です。これはアナーキズムの考え方ですが、民主を突き詰めればアナーキズムに到達するのです。何者にも統治・支配されない、完全に自由な個人が、各自の自由意志で共同体を形成し、共存のためのルールを定め、他者の権利を侵害しあわない…。もちろん、これは実現不能なファンタジーなのですが、「民主は国家の枠にとらわれない」の説明にはなるんじゃないでしょうか。
**********************************************************************
上記の核心部分
「民主を突き詰めればアナーキズムに到達するのです。」
の部分ですが、
確かに、世の中が聖人君子ばかりで、「己の欲するところに従いて矩を越えず」という人間
だけなら、国境も民主制度も必要ないかもしれない。
だが、歴史をみればわかるように、放っておけば、力のある者が独裁に走るのが現実です。
ですから、国の主を民にするための所謂、民主制度が考えられました。
民主制度を突き詰める行為自体が、既に国或いはそれに準ずる共同体を
前提にしています。
世の中の理想とする姿を突き詰めれば、アナーキズムに到達するかもしれないが、
それは民主を突き詰めているわけではない。
究極の理想的世界ならば、国の主を民にする制度(民主制度)など、必要ないと言ってるだけであり、
民主という概念が国家を前提にしないでも存在するという貴方の考えは間違いです。
これは メッセージ 66585 (bonno_216 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/bpa5a4a5ia5afipno9tbbh_1/66740.html