re:パピヨンの視点(3)
投稿者: bonno_216 投稿日時: 2005/03/08 16:22 投稿番号: [66585 / 118550]
そこで、世界の民主化を考える時、「どの国家も、またどの国民も、自国の決定権以外に専権的権利を有しない」という歯止めが必要になるのです。これが現在、国際秩序の柱となっている「国家主権の保護」です。世界に於ける国家間の関係を、国家内に於ける国民間の関係に類比させ、これに民主主義を当てはめた場合、「国民の自決権」という専権的権利だけは、消滅対象から除外せざるを得なくなるのです。つまり、国家を前提に置いた「民主」は「国家主義」と「民主主義」の妥協的理論である「国際国家民主主義」に集約されるということです。「統治・支配」という専権的権利を否定しつつ、自国の統治・支配権を国民が専権的に持つという国家民主主義の矛盾は、国家の枠を前提にした場合、決して解消されないものなのです。
一方、「統治・支配からの解放」という視点で民主主義を捉えた場合、自分たちを支配しているものが「国家権力」なのですから、これを権力者から取り上げるだけで「民主」は達成されます。国際関係が安定していて、国民一人一人に「自己決定権」という究極の専権的権利さえ守れるならば、もはや国家は不要です。これはアナーキズムの考え方ですが、民主を突き詰めればアナーキズムに到達するのです。何者にも統治・支配されない、完全に自由な個人が、各自の自由意志で共同体を形成し、共存のためのルールを定め、他者の権利を侵害しあわない…。もちろん、これは実現不能なファンタジーなのですが、「民主は国家の枠にとらわれない」の説明にはなるんじゃないでしょうか。
「民主国家は軍事的にも強大になり、独裁国家を駆逐する」という理論は、最初に言ったように支離滅裂です。大国のエゴイズム追求が結果的に世界平和と民主化に繋がるなんて摂理は存在しません。民主主義の発達は、強者が弱者を支配・統治する課程で進むんじゃなく、逆に弱者が強者の統治・支配から解放されようと戦う課程で進むのです。「米国は強者だが、弱者の味方ですよ」などと言うのはマヤカシです。強者には強者の理論があり、弱者には弱者の理論があります。強者どうしが戦って、共倒れになり、結果的に弱者が「漁夫の利」を得るというシナリオはありそうですが、それは民主国家の侵略を正当化する理論にはなり得ないでしょう。
長々と説明してきましたように、「民主」と「国家」は別の概念です。国家の規模や軍事力と民主化度は必ずしも比例しませんし、侵略は「民主」の行為ではなく「国家」の行為ですから、侵略者が「民主国家」であったとしても、被侵略国に「民主」をもたらすとは限りません。また、覇権国家としての米国の安全は、アラブ諸国の「民主化」によって保証されるものではなく、むしろ、それらの国の「(軍事力、経済支配力、国民統治力)の弱体化」によって保証されるものです。もし民主化が国家の強大化を招くとすれば、米国は中東の民主化によって覇権喪失の危険を迎え入れることになります。
今後、独裁国家が段々と消滅していく…という見通しには賛同しますが、それは民主国家の侵略によってなされるものではなく、情報の共有化や国際文化交流、教育の進歩等によってなされるものだと思います。戦争は科学技術の進歩を促進しますが、前述の各要素は戦争によって退化します。ゆえに民主国家の侵略は「独裁者」の打倒には役だっても、独裁政治の衰退には繋がらず、むしろ独裁国家滅亡を阻害するものになると考えます。
一方、「統治・支配からの解放」という視点で民主主義を捉えた場合、自分たちを支配しているものが「国家権力」なのですから、これを権力者から取り上げるだけで「民主」は達成されます。国際関係が安定していて、国民一人一人に「自己決定権」という究極の専権的権利さえ守れるならば、もはや国家は不要です。これはアナーキズムの考え方ですが、民主を突き詰めればアナーキズムに到達するのです。何者にも統治・支配されない、完全に自由な個人が、各自の自由意志で共同体を形成し、共存のためのルールを定め、他者の権利を侵害しあわない…。もちろん、これは実現不能なファンタジーなのですが、「民主は国家の枠にとらわれない」の説明にはなるんじゃないでしょうか。
「民主国家は軍事的にも強大になり、独裁国家を駆逐する」という理論は、最初に言ったように支離滅裂です。大国のエゴイズム追求が結果的に世界平和と民主化に繋がるなんて摂理は存在しません。民主主義の発達は、強者が弱者を支配・統治する課程で進むんじゃなく、逆に弱者が強者の統治・支配から解放されようと戦う課程で進むのです。「米国は強者だが、弱者の味方ですよ」などと言うのはマヤカシです。強者には強者の理論があり、弱者には弱者の理論があります。強者どうしが戦って、共倒れになり、結果的に弱者が「漁夫の利」を得るというシナリオはありそうですが、それは民主国家の侵略を正当化する理論にはなり得ないでしょう。
長々と説明してきましたように、「民主」と「国家」は別の概念です。国家の規模や軍事力と民主化度は必ずしも比例しませんし、侵略は「民主」の行為ではなく「国家」の行為ですから、侵略者が「民主国家」であったとしても、被侵略国に「民主」をもたらすとは限りません。また、覇権国家としての米国の安全は、アラブ諸国の「民主化」によって保証されるものではなく、むしろ、それらの国の「(軍事力、経済支配力、国民統治力)の弱体化」によって保証されるものです。もし民主化が国家の強大化を招くとすれば、米国は中東の民主化によって覇権喪失の危険を迎え入れることになります。
今後、独裁国家が段々と消滅していく…という見通しには賛同しますが、それは民主国家の侵略によってなされるものではなく、情報の共有化や国際文化交流、教育の進歩等によってなされるものだと思います。戦争は科学技術の進歩を促進しますが、前述の各要素は戦争によって退化します。ゆえに民主国家の侵略は「独裁者」の打倒には役だっても、独裁政治の衰退には繋がらず、むしろ独裁国家滅亡を阻害するものになると考えます。
これは メッセージ 66584 (bonno_216 さん)への返信です.
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