>>うーん・・・
投稿者: ricochet19th 投稿日時: 2005/01/24 13:37 投稿番号: [62753 / 118550]
メディアの公正さで重要な要素は、普遍性や一般性のほかに強者と弱者の立場を対等に伝えているかという点だと俺は思います。
例えば公害訴訟に置ける国と私人の立場。内部告発者と企業の立場。戦争犠牲者と加害者国の立場。メディアは我々一般人のものです。そして我々と為政者の視点は同一ではありません。
我々もまた時代の流れによってはあのような暴力の不条理に晒されかねない社会的弱者です。彼らは、ひょっとすると近い未来の我々の姿なのかもしれない。
だから我々は彼らの苦痛を他人事とは思えないしそのような苦痛が日の目を見ずに”明るいニュース”の陰で数多く切り捨てられていく事を善しとしません。何故ならそれ自体が弱者の対する暴力であることもまた我々の歴史は証明してるからです。
あなたが主張する正当性は、加害者国の為政者の視点から、そして過去の戦争や圧制との比較から放たれています。でもそういった視点からの主張は誰だって知っている。我々が為政者の視点にたって戦争を理解する。それは重要なことでしょう。でも我々個人がその視点のみで、戦勝国の視点のみで戦争の全てを知ったつもりになることの危険性や問題点は我々の歴史が示しています。
>実際わたしは・・・・
過去を現在のトラブルの言い訳にすること自体ナンセンスで無意味です。過去の前進の先に今があるのだから。そのような比較だけで戦争を肯定的に語るのは、暴力の本質に目を向けずに強者の視点を愉しむ人間だけです。
我々は、今我々の目の前に横たわっているトラブルに目を向けなければならない筈です。それが過去より続いた前進を引き継ぐ新たな前進ですから。過去は学ぶものであり現代のトラブルと比較して自分を慰める為のものではありません。それは過去の前進を今のトラブルの犠牲にする行為です。
トラブルは実在する苦痛です。一つのトラブルのニュースの向こうでは、実際に誰かが苦痛を受け、あるいは屈辱に晒され、あるいは不条理や死が吹き荒れているということを我々は知っています。
目の前にトラブルがあるのになぜ三日天下だった戦争大成功の功績を引き合いに出してそれを圧殺しなくてはいけないのか?
これが本当に自由と正義のための戦争なら、依然その評価期間は継続中というわけですし。
フセインがどういった恐怖政治を強いていたのかなんて誰だって知っています。でもアメリカに「サダムの頃よりましだろ?」なんて自身の今の無策を弁解する資格なんてない。ましてや「あいつらも望んだから来たんだぜ?」なんて自分で言い出すことはまるで強姦した男の言い訳みたいにしか聞こえない。
では逆にサダムよりマシなら何したっていいのか?独裁国家とまがいなりにも民主主義国家、比較の対処にはなりません。
弱者はトラブルを知り、その向こうに実在する苦痛があることを知り、その是正を訴えかけます。それがあなた方が戦争を起こしても広めたかった民主主義じゃないのですか?
それとも、今よりロシアのように国の視点でガッチリ拘束された様なメディアのほうがお好みですか?
メディアが必ずしも公正ではないのは知っている。だからと言って持論に心地良い意見ばかりで武装してトラブルまでなかったことにしてしまう考えが公正であるとはさすがに俺には思えませし、弱者の声から積極的に耳をふさいだその”公正さ”に言葉通りの価値が宿るとは俺は思いません。
あなたは、まるでメディアに自身が攻撃されているかのように、敵味方に切り分けて物事を語りますけど。会戦前夜に様々な立場の人々がいることを俺達は知っていたし、この国が長きに渡る経済制裁で疲弊しきっていた事実も知っている。
ジョゼフさんの資料も俺自身知っていたし、そのインタビューのことも微かに覚えている。でも今改めてそのインタビューを読んでみてメディアの策謀があるのかないのかと聞かれても、”あなたがそう感じた”ということ以上のことは俺には感じられません。
なぜ戦争が非難されるか?失われた命にはどんなチャンスもやってこないからです。彼らが苦しい生活の中でこの戦争を独裁者打倒のチャンスであると感じることに俺は間違いであるとは思いません。
破壊の中から価値が生み出された、いくつかの例も知っています。
でもそのことが暴力の言い訳に使われることに俺はとんでもない不誠実さを覚えるし、それが今起こっているトラブルの足しにもならないことも知っています。
圧制が悪であるなら戦争が善になるか?それは違います。どのような戦争も本質は悪です。
悪であっても行使されなければならない事態があったと言うだけで。
暴力を行使する人間はその本質に向き合わねばならないし、モラルを語る人間は自らの危うさを知らねばならない。自由や比較の話をする前に。あなたの投稿から感じる事
例えば公害訴訟に置ける国と私人の立場。内部告発者と企業の立場。戦争犠牲者と加害者国の立場。メディアは我々一般人のものです。そして我々と為政者の視点は同一ではありません。
我々もまた時代の流れによってはあのような暴力の不条理に晒されかねない社会的弱者です。彼らは、ひょっとすると近い未来の我々の姿なのかもしれない。
だから我々は彼らの苦痛を他人事とは思えないしそのような苦痛が日の目を見ずに”明るいニュース”の陰で数多く切り捨てられていく事を善しとしません。何故ならそれ自体が弱者の対する暴力であることもまた我々の歴史は証明してるからです。
あなたが主張する正当性は、加害者国の為政者の視点から、そして過去の戦争や圧制との比較から放たれています。でもそういった視点からの主張は誰だって知っている。我々が為政者の視点にたって戦争を理解する。それは重要なことでしょう。でも我々個人がその視点のみで、戦勝国の視点のみで戦争の全てを知ったつもりになることの危険性や問題点は我々の歴史が示しています。
>実際わたしは・・・・
過去を現在のトラブルの言い訳にすること自体ナンセンスで無意味です。過去の前進の先に今があるのだから。そのような比較だけで戦争を肯定的に語るのは、暴力の本質に目を向けずに強者の視点を愉しむ人間だけです。
我々は、今我々の目の前に横たわっているトラブルに目を向けなければならない筈です。それが過去より続いた前進を引き継ぐ新たな前進ですから。過去は学ぶものであり現代のトラブルと比較して自分を慰める為のものではありません。それは過去の前進を今のトラブルの犠牲にする行為です。
トラブルは実在する苦痛です。一つのトラブルのニュースの向こうでは、実際に誰かが苦痛を受け、あるいは屈辱に晒され、あるいは不条理や死が吹き荒れているということを我々は知っています。
目の前にトラブルがあるのになぜ三日天下だった戦争大成功の功績を引き合いに出してそれを圧殺しなくてはいけないのか?
これが本当に自由と正義のための戦争なら、依然その評価期間は継続中というわけですし。
フセインがどういった恐怖政治を強いていたのかなんて誰だって知っています。でもアメリカに「サダムの頃よりましだろ?」なんて自身の今の無策を弁解する資格なんてない。ましてや「あいつらも望んだから来たんだぜ?」なんて自分で言い出すことはまるで強姦した男の言い訳みたいにしか聞こえない。
では逆にサダムよりマシなら何したっていいのか?独裁国家とまがいなりにも民主主義国家、比較の対処にはなりません。
弱者はトラブルを知り、その向こうに実在する苦痛があることを知り、その是正を訴えかけます。それがあなた方が戦争を起こしても広めたかった民主主義じゃないのですか?
それとも、今よりロシアのように国の視点でガッチリ拘束された様なメディアのほうがお好みですか?
メディアが必ずしも公正ではないのは知っている。だからと言って持論に心地良い意見ばかりで武装してトラブルまでなかったことにしてしまう考えが公正であるとはさすがに俺には思えませし、弱者の声から積極的に耳をふさいだその”公正さ”に言葉通りの価値が宿るとは俺は思いません。
あなたは、まるでメディアに自身が攻撃されているかのように、敵味方に切り分けて物事を語りますけど。会戦前夜に様々な立場の人々がいることを俺達は知っていたし、この国が長きに渡る経済制裁で疲弊しきっていた事実も知っている。
ジョゼフさんの資料も俺自身知っていたし、そのインタビューのことも微かに覚えている。でも今改めてそのインタビューを読んでみてメディアの策謀があるのかないのかと聞かれても、”あなたがそう感じた”ということ以上のことは俺には感じられません。
なぜ戦争が非難されるか?失われた命にはどんなチャンスもやってこないからです。彼らが苦しい生活の中でこの戦争を独裁者打倒のチャンスであると感じることに俺は間違いであるとは思いません。
破壊の中から価値が生み出された、いくつかの例も知っています。
でもそのことが暴力の言い訳に使われることに俺はとんでもない不誠実さを覚えるし、それが今起こっているトラブルの足しにもならないことも知っています。
圧制が悪であるなら戦争が善になるか?それは違います。どのような戦争も本質は悪です。
悪であっても行使されなければならない事態があったと言うだけで。
暴力を行使する人間はその本質に向き合わねばならないし、モラルを語る人間は自らの危うさを知らねばならない。自由や比較の話をする前に。あなたの投稿から感じる事
これは メッセージ 62693 (oxnardnokakashi さん)への返信です.
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