>x8しかし一方で
投稿者: GivingTree 投稿日時: 2005/01/07 13:47 投稿番号: [61425 / 118550]
>フランスのテロリズムは恐怖支配「体制」です。
体制は、一部の個人ではできません。
だからフランス革命は、「個人によるテロ行為」では絶対にありませんよね。
それは教科書的考え方です。体制になる前の段階から、テロは横行しておりそれが体系化されて体制となった。その体制になる前の段階では、ジャコバンも民衆も一体でした。つまり個人個人が思い思いにテロを行っていたのです。俺が言っているフランス革命の「テロ」とはこのことです。
先導および扇動するエリートがいたことはたしかです。それはジャコバンでした。だがそれ以前に、人々の中に「ぶち壊してしまえ」という破壊欲求があった。世の中を「ひっくり返したい」という欲求があった。ジャコバンはそうした人々の欲求を利用し、彼らを集団テロリストに仕立てあげ、最後にはReign of Terror(恐怖政治)のもとに、あまりの非道に良心の呵責を覚え怖気づいた人々を次々に粛清していったんです。粛清された人たちの中には、まったくテロに関わっていない人もいました。だが中には積極的にテロに関わっていた人もいた。まさに一色単にされたんです。
貴方のいうテロ1、テロ2の区分けは現実的で興味深いんですが、それすら人間が本質的に持つテロ(破壊)に対する欲求を加味していないと思うんですよ。
>アメリカの大学ではどう教えているのか知りませんが、われわれ日本人の常識では、アメリカ独立が「民族自決権」の行使だったとは考えにくいのです。独立戦争は、いったいどんな民族の自決権が絡んでいたのでしょうか?
言葉に囚われているようですが、ここは俺の言葉の使い方が間違っていましたね。俺がいう民族自決権とはつまり「right to self-determination」(自決権)です。「民族」の部分は省いて構いません。ただ、独立戦争が自決権の行使だったことは間違いないでしょう。
そうなってくると、
>テロの名においてすべての民族自決運動が封殺されるべきではないと・・・
この場合の「民族自決」とはright to national self-determinationを意味し、文字通りいち民族が他の民族の支配からの決別を謳いこれを実行する権利のことです。
アメリカの場合は、イギリスからの移民(清教徒)が移住地に根付き、自らの価値観を育てていき、母国イギリスとの価値観が決定的に乖離したことによって「圧制からの解放」を謳って行われたものです。
俺が「封殺されるべきでない民族自決権」としているのは、他国からの侵略や支配から解放される自由の行使を妨げるべきではないということです。ただ、問題はその自由の行使がどの程度許容できるものかということで、俺はその許容基準というものが作られる必要があると思います。自由には責任が伴い、いかなる自由であれそれを行使するには自律の心が必要だからです。
だから、すべてのテロを単に「悪」として封殺するのではなく、過去の歴史を顧みて、「自分たちもしてきたことを他人には許さないなどという傲慢は言ってられない」という贖罪の意識を持って、では両者の妥協点は何か。これを見出す必要があると思うんです。
それは、返すべきものを返し、与えるべきものを与え、許さないことについては完全に一線を引くことでしょう。あらゆるテロを単に「悪」と位置付けるだけでは、単なる全面衝突しか生まれません。それでは、冷戦時代に語られたMAD(相互確証破壊)と同じ結果を生むゼロサムゲームの延長です。ただ単に冷戦に勝利した拡大されて西側陣営の新たな敵が「テロ」となっただけで、やってることは同じです。しかも今度は「熱戦」の復活です。
これこそ、馬鹿げていますよ。
人類は再びあのような時代を送ることのない英知を出すことができるはずです。そのためには、一方的に相手を「敵」と考えるやり方を改めなければいけないんです。
体制は、一部の個人ではできません。
だからフランス革命は、「個人によるテロ行為」では絶対にありませんよね。
それは教科書的考え方です。体制になる前の段階から、テロは横行しておりそれが体系化されて体制となった。その体制になる前の段階では、ジャコバンも民衆も一体でした。つまり個人個人が思い思いにテロを行っていたのです。俺が言っているフランス革命の「テロ」とはこのことです。
先導および扇動するエリートがいたことはたしかです。それはジャコバンでした。だがそれ以前に、人々の中に「ぶち壊してしまえ」という破壊欲求があった。世の中を「ひっくり返したい」という欲求があった。ジャコバンはそうした人々の欲求を利用し、彼らを集団テロリストに仕立てあげ、最後にはReign of Terror(恐怖政治)のもとに、あまりの非道に良心の呵責を覚え怖気づいた人々を次々に粛清していったんです。粛清された人たちの中には、まったくテロに関わっていない人もいました。だが中には積極的にテロに関わっていた人もいた。まさに一色単にされたんです。
貴方のいうテロ1、テロ2の区分けは現実的で興味深いんですが、それすら人間が本質的に持つテロ(破壊)に対する欲求を加味していないと思うんですよ。
>アメリカの大学ではどう教えているのか知りませんが、われわれ日本人の常識では、アメリカ独立が「民族自決権」の行使だったとは考えにくいのです。独立戦争は、いったいどんな民族の自決権が絡んでいたのでしょうか?
言葉に囚われているようですが、ここは俺の言葉の使い方が間違っていましたね。俺がいう民族自決権とはつまり「right to self-determination」(自決権)です。「民族」の部分は省いて構いません。ただ、独立戦争が自決権の行使だったことは間違いないでしょう。
そうなってくると、
>テロの名においてすべての民族自決運動が封殺されるべきではないと・・・
この場合の「民族自決」とはright to national self-determinationを意味し、文字通りいち民族が他の民族の支配からの決別を謳いこれを実行する権利のことです。
アメリカの場合は、イギリスからの移民(清教徒)が移住地に根付き、自らの価値観を育てていき、母国イギリスとの価値観が決定的に乖離したことによって「圧制からの解放」を謳って行われたものです。
俺が「封殺されるべきでない民族自決権」としているのは、他国からの侵略や支配から解放される自由の行使を妨げるべきではないということです。ただ、問題はその自由の行使がどの程度許容できるものかということで、俺はその許容基準というものが作られる必要があると思います。自由には責任が伴い、いかなる自由であれそれを行使するには自律の心が必要だからです。
だから、すべてのテロを単に「悪」として封殺するのではなく、過去の歴史を顧みて、「自分たちもしてきたことを他人には許さないなどという傲慢は言ってられない」という贖罪の意識を持って、では両者の妥協点は何か。これを見出す必要があると思うんです。
それは、返すべきものを返し、与えるべきものを与え、許さないことについては完全に一線を引くことでしょう。あらゆるテロを単に「悪」と位置付けるだけでは、単なる全面衝突しか生まれません。それでは、冷戦時代に語られたMAD(相互確証破壊)と同じ結果を生むゼロサムゲームの延長です。ただ単に冷戦に勝利した拡大されて西側陣営の新たな敵が「テロ」となっただけで、やってることは同じです。しかも今度は「熱戦」の復活です。
これこそ、馬鹿げていますよ。
人類は再びあのような時代を送ることのない英知を出すことができるはずです。そのためには、一方的に相手を「敵」と考えるやり方を改めなければいけないんです。
これは メッセージ 61420 (zionisatou2 さん)への返信です.
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