今度こそ、私の質問を頼む。
投稿者: ahuramazda1945 投稿日時: 2004/11/21 15:48 投稿番号: [58069 / 118550]
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半月)原善四郎参謀の証言によれば、日本軍が対ソ連戦を準備していた1941年8月9日に、原氏は北支派遣軍に2万人の慰安婦が必要だ、と計算して、朝鮮総督府に向かい、総督府に短期間の間に慰安婦を集めるべしと要求したとあります。
そして、原氏は、「総督府は慰安婦を道知事に割り当て、道知事は慰安婦を地元の有力者に割り当て、地元の有力者は村長に慰安婦を割り当てた」と証言しています。
**********
>このことは、原氏の同僚たちの証言により、
「原氏の担当が当時の事実と異なっている。原氏は慰安婦募集の担当ではない。実際は、原氏は教育の担当で、兵站の担当ではなかった」
と当時の記録からも確認できております。
あら、半月さんの収集した資料とは違うわね。
そこからの引用なのか、投稿してください。・・・3
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半月城掲載の文は、千田夏光氏が原氏の証言として本にしたものです。
◇現代史研究家、加藤正夫、調査(現代コリア93年2・3月号)◇
開特演の予算担当者だった陸軍省軍務局軍事課の加登川幸太郎少佐とか、関東軍参謀今岡豊中佐(兵站主任)さんたちは、口をそろえて慰安婦動員計画なんか聞いたこともないと語る。開特演は、そもそも極秘極秘に準備された計画なので、大々的に慰安婦動員なんかするわけはありません。
決定的なことに、証言者の原さんは、当時は関東軍司令部第一課所属であり、原さんは、この時期以外でも、三課所属になったことはただの一度もありません。加藤さんが、この事を千田さんに問いただすと、千田さんは自分の本よりも先に(昭和40年)武蔵大学教授の島田俊彦さんが書いた「関東軍」という本があって、その中の176ページに慰安婦二万人動員計画が書かれている、それが根拠になっていると語りました。自分が直接原さんから証言を得たわけではなかったのです。島田さんの本は、何の出典も示さないまま、慰安婦を集めたということを記述しているだけの本です。
◇「近現代史の授業改革7」
『従軍慰安婦』は中学生に教えるべき歴史事象か 谷原 茂生◇
ただ,千田氏の取材によると,実際に集まった慰安婦は昭和16年の6月から始まる関東軍特別演習の時で,8000人ぐらいだったという(後方担当参謀原善四郎少佐[当時]の「証言」による)。しかし,この章は「証言」という名の,伝聞と憶測の入り交じった構成になっている。更に引っ掛かるのは,第2,3章に出てくる慰安婦の中には日本人の慰安婦もおり,その人たちは多くはやはり商売女であったにもかかわらず,この章では単なる商売女として片付け,慰安婦と見做していないなど,論理の一貫性を欠いている(後方担当参謀原善四郎少佐[当時]とのインタビュー)。何ともすっきりしない文面であった。
こういった事で久しく悩んでいた私だったが,図書館で検索していたら,上杉千年氏の『検証『従軍慰安婦』』という本を発見した。この本をじっくり読んでいたところ,このインタビューそのものが,果たして本当にあったのかという,疑問すら生まれてきたのである。
問題の原少佐であるが,彼は千田氏によると,第3課兵站班の担当者ということであった。ところが兵站班は第1課だったのである。これは当然,書きなおされて然るべき内容なのに,三一書房の本は書き改められていない。さらに,関特演の時期と,某韓国人男性の証言する時期が微妙に違っている。
さらに,千田氏は慰安婦は35人に1人必要だったとし,関特演の際2万人が動員されたということであるが,仮にも対ソ連戦を想定した極秘演習にいきなり2万人もの強制徴発が出来るのだろうか。それも極秘裏に,である。
上記のような、反証に千田氏は反論していない、原氏の経歴についても反論がない。国の動員体制からも反論されていて、それに対応する反論が、
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ははは。
公文書は敗戦直後徹底的に焼却するよう指令が出ているからね。
どうして焼却指令出したのかしらね。
しかし残存史料で未公開のものがたくさんあるそうだから。
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つまり、【証拠】が存在しない。ってことですね。想像で物事を議論しないで下さい。まったく。私の質問にも答えて下さいよ。
半月)原善四郎参謀の証言によれば、日本軍が対ソ連戦を準備していた1941年8月9日に、原氏は北支派遣軍に2万人の慰安婦が必要だ、と計算して、朝鮮総督府に向かい、総督府に短期間の間に慰安婦を集めるべしと要求したとあります。
そして、原氏は、「総督府は慰安婦を道知事に割り当て、道知事は慰安婦を地元の有力者に割り当て、地元の有力者は村長に慰安婦を割り当てた」と証言しています。
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>このことは、原氏の同僚たちの証言により、
「原氏の担当が当時の事実と異なっている。原氏は慰安婦募集の担当ではない。実際は、原氏は教育の担当で、兵站の担当ではなかった」
と当時の記録からも確認できております。
あら、半月さんの収集した資料とは違うわね。
そこからの引用なのか、投稿してください。・・・3
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半月城掲載の文は、千田夏光氏が原氏の証言として本にしたものです。
◇現代史研究家、加藤正夫、調査(現代コリア93年2・3月号)◇
開特演の予算担当者だった陸軍省軍務局軍事課の加登川幸太郎少佐とか、関東軍参謀今岡豊中佐(兵站主任)さんたちは、口をそろえて慰安婦動員計画なんか聞いたこともないと語る。開特演は、そもそも極秘極秘に準備された計画なので、大々的に慰安婦動員なんかするわけはありません。
決定的なことに、証言者の原さんは、当時は関東軍司令部第一課所属であり、原さんは、この時期以外でも、三課所属になったことはただの一度もありません。加藤さんが、この事を千田さんに問いただすと、千田さんは自分の本よりも先に(昭和40年)武蔵大学教授の島田俊彦さんが書いた「関東軍」という本があって、その中の176ページに慰安婦二万人動員計画が書かれている、それが根拠になっていると語りました。自分が直接原さんから証言を得たわけではなかったのです。島田さんの本は、何の出典も示さないまま、慰安婦を集めたということを記述しているだけの本です。
◇「近現代史の授業改革7」
『従軍慰安婦』は中学生に教えるべき歴史事象か 谷原 茂生◇
ただ,千田氏の取材によると,実際に集まった慰安婦は昭和16年の6月から始まる関東軍特別演習の時で,8000人ぐらいだったという(後方担当参謀原善四郎少佐[当時]の「証言」による)。しかし,この章は「証言」という名の,伝聞と憶測の入り交じった構成になっている。更に引っ掛かるのは,第2,3章に出てくる慰安婦の中には日本人の慰安婦もおり,その人たちは多くはやはり商売女であったにもかかわらず,この章では単なる商売女として片付け,慰安婦と見做していないなど,論理の一貫性を欠いている(後方担当参謀原善四郎少佐[当時]とのインタビュー)。何ともすっきりしない文面であった。
こういった事で久しく悩んでいた私だったが,図書館で検索していたら,上杉千年氏の『検証『従軍慰安婦』』という本を発見した。この本をじっくり読んでいたところ,このインタビューそのものが,果たして本当にあったのかという,疑問すら生まれてきたのである。
問題の原少佐であるが,彼は千田氏によると,第3課兵站班の担当者ということであった。ところが兵站班は第1課だったのである。これは当然,書きなおされて然るべき内容なのに,三一書房の本は書き改められていない。さらに,関特演の時期と,某韓国人男性の証言する時期が微妙に違っている。
さらに,千田氏は慰安婦は35人に1人必要だったとし,関特演の際2万人が動員されたということであるが,仮にも対ソ連戦を想定した極秘演習にいきなり2万人もの強制徴発が出来るのだろうか。それも極秘裏に,である。
上記のような、反証に千田氏は反論していない、原氏の経歴についても反論がない。国の動員体制からも反論されていて、それに対応する反論が、
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ははは。
公文書は敗戦直後徹底的に焼却するよう指令が出ているからね。
どうして焼却指令出したのかしらね。
しかし残存史料で未公開のものがたくさんあるそうだから。
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つまり、【証拠】が存在しない。ってことですね。想像で物事を議論しないで下さい。まったく。私の質問にも答えて下さいよ。
これは メッセージ 58050 (dorawasabi5001 さん)への返信です.
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