>宗教としての:ベンチャくん(その1)
投稿者: grokworkdoll 投稿日時: 2004/08/09 11:34 投稿番号: [49697 / 118550]
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グロックさんの言われる種々の宗教の狭間にメタ宗教を見出すイメージが、いまいちわからないので、
宗教という大雑把な概念をもうちょっと区分けする必要がありますな。宇宙論と社会的道徳基盤を提供する顕教的なもの、個の神秘体験とその実践体系を提供する密教的なもの、ととりあえず分けてみます。ベンチャくんがある程度置き換え可能なのではないかとするのは顕教としての宗教であり、これは西側社会ではある程度達成されてしまっている訳ですね。最大公約数的なコンセンサスとしての宇宙論と日常的な道徳基盤は合理主義に基づいた科学が提供し、宗教的権威のほうがそれに歩み寄って教義を再調整している。科学がひとつのメタ宗教として、この部分の役割を既に担っているわけです。しかしこの場合も、メタ宗教としての科学が既存の宗教を凌駕し、その上位に位置付けられる訳ではないのは現実の世界をよくみればすぐわかることです。宗教的生活感情と科学的世界認識は互いに疎外しあうことなく、一個人や社会のなかでお互いの領域に住み分けられて共存します。
しかしメタ宗教としての科学がカバーしきれない部分、神秘体験とか、神話や契約の解釈、祈祷、奇蹟、魔術・呪術など密教的なるものの領域では、宗教は俄然独自の生命力を持ち続けるわけです。超自然現象を科学する、という立場で科学がこの領域にメスを入れるアプローチもありますが、ただ還元論的な言語フォーマットに記述しなおすだけ、では、宗教のこの領域における本質的なエナジーを代替することは不可能でしょうね。諸々の霊的修行体系、密教的実践体系は、永い時間を経て精査されてきた精神のテクノロジーの集積であることを認める思考の土壌がいまだ脆弱なのです。精神のテクノロジー、という概念自体、心理学という時間的な集積も記述方法の枠組みも未だ幼年期のアプローチ、記述方法がようやっと、おっかなびっくり到達したばかりという体たらくなのです。禅僧の脳波を調べたり、アーキタイプをいじくりまわしたりしても、科学的・心理学的アプローチではその「応用」まで届かない。宗教が提供する実践体系はこの「非・合理のテクネー」の応用を提供、体現する訳で、世界において歴然とそのポジションを堅持する。量子論やカオス数学は一見「非・合理のテクネー」に科学が接近するかのような期待、先見性が感じられる分、宗教的世界観と科学思想の橋渡しという役割を期待されるのだと思います。仏教の縁起論と量子論の対応理論の接近遭遇に、ある種のロマンを宗教者、科学者ともに抱ける余地がある。メタ宗教としての科学がさらに一歩踏み込んで宗教を解体あるいは融合していく、ひとつの可能性と思います。
グロックさんの言われる種々の宗教の狭間にメタ宗教を見出すイメージが、いまいちわからないので、
宗教という大雑把な概念をもうちょっと区分けする必要がありますな。宇宙論と社会的道徳基盤を提供する顕教的なもの、個の神秘体験とその実践体系を提供する密教的なもの、ととりあえず分けてみます。ベンチャくんがある程度置き換え可能なのではないかとするのは顕教としての宗教であり、これは西側社会ではある程度達成されてしまっている訳ですね。最大公約数的なコンセンサスとしての宇宙論と日常的な道徳基盤は合理主義に基づいた科学が提供し、宗教的権威のほうがそれに歩み寄って教義を再調整している。科学がひとつのメタ宗教として、この部分の役割を既に担っているわけです。しかしこの場合も、メタ宗教としての科学が既存の宗教を凌駕し、その上位に位置付けられる訳ではないのは現実の世界をよくみればすぐわかることです。宗教的生活感情と科学的世界認識は互いに疎外しあうことなく、一個人や社会のなかでお互いの領域に住み分けられて共存します。
しかしメタ宗教としての科学がカバーしきれない部分、神秘体験とか、神話や契約の解釈、祈祷、奇蹟、魔術・呪術など密教的なるものの領域では、宗教は俄然独自の生命力を持ち続けるわけです。超自然現象を科学する、という立場で科学がこの領域にメスを入れるアプローチもありますが、ただ還元論的な言語フォーマットに記述しなおすだけ、では、宗教のこの領域における本質的なエナジーを代替することは不可能でしょうね。諸々の霊的修行体系、密教的実践体系は、永い時間を経て精査されてきた精神のテクノロジーの集積であることを認める思考の土壌がいまだ脆弱なのです。精神のテクノロジー、という概念自体、心理学という時間的な集積も記述方法の枠組みも未だ幼年期のアプローチ、記述方法がようやっと、おっかなびっくり到達したばかりという体たらくなのです。禅僧の脳波を調べたり、アーキタイプをいじくりまわしたりしても、科学的・心理学的アプローチではその「応用」まで届かない。宗教が提供する実践体系はこの「非・合理のテクネー」の応用を提供、体現する訳で、世界において歴然とそのポジションを堅持する。量子論やカオス数学は一見「非・合理のテクネー」に科学が接近するかのような期待、先見性が感じられる分、宗教的世界観と科学思想の橋渡しという役割を期待されるのだと思います。仏教の縁起論と量子論の対応理論の接近遭遇に、ある種のロマンを宗教者、科学者ともに抱ける余地がある。メタ宗教としての科学がさらに一歩踏み込んで宗教を解体あるいは融合していく、ひとつの可能性と思います。
これは メッセージ 49540 (venture_2016 さん)への返信です.
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