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>宗教としての:ベンチャくん(その2)

投稿者: grokworkdoll 投稿日時: 2004/08/09 11:35 投稿番号: [49698 / 118550]
さてここで注意してもらいたいのは、メタ宗教としての科学と既存の宗教が互いに解体/融合していくのは密教的領域の、そのまたごく一部分に限られる、とおれが考えていることです。テクネーの記述方法の交換可能性を巡って、科学と宗教は今後多いに接近し続けるでしょう。バッタママさんが抱いているあるロマティシズムのようなものは今後も継続し、また一定の成果をあげていくでしょう。ダライラマ14世はこの方向の可能性をポジティブに提唱しています。がしかし、宗教や神秘思想が蓄積してたテクネーの部分・密教的なるものとは、あくまで宗教全体が持つ枠組みの一部にしか過ぎず、また実際のところその重要な屋台骨のひとつですら、ありません。ここでいう顕教的なるものと密教的なるものとは、その実まったく領分も機能も異なる、別物だとも、いえる訳です。真言密教僧の観想法と、心理学のアクティブイマジネーションという、ふたつの異なる記述方法の交換可能性は、双方からのアプローチによってさらに追求されていくでしょうが、ダーウィニズムと旧約聖書の世界創造といった、宗教のもつ顕教的な領域の機能は、そういうレベルではあらかじめ対話不可能であり、いかに社会ダーウィニズム的な楽観論で「いずれ科学の合理精神があらゆる迷妄としての宗教世界を駆逐する」と夢想したところでそんなことは起こり得ないし、またそうなる必然性もありません。心理学が宗教を再解釈することを試みても、例えばアメリカのように精神分析が一般層に浸透・蔓延しつつ、同時に宗教勢力が大きな政治的パワーとなる現状が、心理学者が宗教者を代替することはあり得ないという現実を示しています。アメリカの場合、先にも触れましたが独特な「霊的物質主義」というか、科学と宗教のちゃんぽんミックスのような、たちの悪いメタ宗教化現象が如実に現れています。既存の宗教が持つ機能やその提供する枠組みに、安易に科学、メタ宗教としての科学を継ぎ木することにより、より洗練されたものどころかより混迷を極めた、どっちつかずのキメラのようなメタメタ宗教が誕生してしまうのです。これが、おれが来るべきメタ宗教と、その枠組みを提供するべき科学というものを「上位」と置くような、安易な過信、過剰な楽観を警戒する理由です。

宗教がもつ細やかな表情、社会道徳基盤を提供する「物語力」としての顕教的要素と、精神のテクネーの集積という今後科学が切り込んで行くであろう領域の先達としての密教的要素を混合してしまうと、科学と宗教の対話、来るべきメタ宗教のイメージは混迷を極めることになるでしょう。科学ということをとりあえずおいて、新時代に相応しい新たな「物語力」の創造という目論みとしては、たとえばミシュレの「人類の聖書」とか、古くはエスペラントの創始者であるザメンホフのホモラニスモ(人類人主義)など、人文学の側からのアプローチがあります。宗教の顕教的要素との対話は、こういった人文学系の知性から、密教的要素との対話は、科学・物理学や科学哲学と、それぞれ領域と役割を分担して担っていくのが正解でしょう。そういう意味で、ベンチャくんのメタ宗教のイメージがあまりに一枚岩的で大味に思えるわけです。

さらに、ベンチャくんも予感されているように、一神教という独特なアイデアに対する問題が、別にあります。これに関しては科学も理神論というある意味思想的同根を共有している訳で、一神教と科学の対話とその止揚、を考えるのは、さらに慎重かつ精密な論の組み立てが必要になります。長くなったのでまたの機会にしますが、啓示宗教とその戦争に対して現代科学がいかにして批判性を持ち得るかは、ミクロレベルでの不確定性とマクロレベルでの複雑性という、両端の「ゆらぎ」に直面した現代科学が、理神論という自身の「聖なる源泉」に対してどこまで痛みを伴って切り込んでいけるか、量子的あるいはカオス的新世界像によって自己更新できるかにかかっているように思います。

だらだら書いたけど、いいたいことわかった?
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