>科学主義 Ⅱ
投稿者: theme_from_papillon 投稿日時: 2004/07/26 01:37 投稿番号: [47621 / 118550]
>>ですが、人類社会の生存競争の犠牲になって自殺を計る人もいるわけで、
>>間接的に自然淘汰の原理が働いているという主張も否定できません。
>貴方が否定出来ないというだけのことですよ。
>いい加減な言葉の言い回しは愚かですよ?
>間接的ってなんですか?その因果関係を証明できますか?
>※この証明には、凡そ想像できうる自殺の事例全てに対して「自然淘汰の原理」が働いていると言うことが証明されなければ意味が無いのですよ?
論理的に考えてください。
否定できないというのは肯定できるという意味とは違いますよ。
その可能性も考えられると言ってるのです。
自殺にも色々あるでしょう。自殺が自然淘汰であると述べた方は、人間社会の生存競争に負けて自殺したケースが大半を占めていると
考えておられるのでしょう。人間社会の競争が生物界全体に働く自然淘汰と無縁ではないと考えるのは、ごくふつうの推論に思えます。
>>生物が進化するために宿命として持つ厳しい現実を直視したときに
世界の悲哀を感じるということでしょう。
>残念ながら、全く意味不明な、言葉としか映りませんねえ?
生物進化は絶滅の危機に遭遇しつつ達成されてきたという事実があります。
ヒトも、ある時期、絶滅寸前までいったらしいです。
ウイルスに弱い人は淘汰され、子孫を残すこともなく、絶えていきました。
ヒト社会の中でも生存をかけた過酷な競争もありました。
現代社会とて、生命の試練の延長上にあるとみるべきでしょう。
地球規模での大変動が再来する可能性もあるでしょうし、それに備えるべく
ヒトという種や文明も絶えることのない進化の軌道を進んでいると考えます。
そのような過酷な現実だからこそ、喜びがあり、愛があるのです。
身近な話題で言えば、民主主義も多くの生命の犠牲の結果、獲得されてきました。
このように、世界は尊いものを与える代償として悲惨な犠牲を要求する一面を持つ。
世界の持つ悲哀とはそういう意味です。
これは メッセージ 47606 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
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