弱い者いじめ社会・・(2)
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2004/06/08 23:13 投稿番号: [42513 / 118550]
各論に入ると、
>一昔前までは子は鎹と言って
>子がいれば離婚をする夫婦は少なかったものだ・・・
>是非はともかく、保守的な私としてはなるほどと思っている。
ここに存在する一昔前の家庭像の中には、一口で言えば、「子供のために犠牲になっている夫婦」も含まれているのである。
それらの問題のある夫婦関係さえをも、美談(もしくは、歴史的既成事実)として普遍化し、「全体に」当てはめて強要するということである。
「子供が本当にかわいいのならば、普通は「別れる」なんて言うことを言わないモノである。」・・という高いハードルを敷くことによって、個人の本来自由であるべき選択を制限しているのである。
「子はかすがい」と言うある意味の歴史的強制を持ちだしてくることによって、例えばここに存在するかもしれない夫婦間の個々の問題を一般化して、本当に救済されるべき窮地に置かれているかも知れない「弱者」に対して、それ以上の「我慢」を強いていることに繋がる可能性も存在することに考えが行かなければ、それは、単なる無意識による「弱い者いじめ」以外の何ものでもない。
>私の周りの『離婚経験者』を見る限り・・・
>一時の欲情だけで無責任に子どもを作った者が離婚しているな・・・
「一時の欲情だけで無責任に子どもを作った者が離婚している」
これを裏返せば、「純粋の愛情があった者同士は、離婚しない」と自分の狭い経験論的価値観から導き出されたライターさんの考え方としては、そういう解答が出されているということである。
つまりライターさんの目から見えるものは、「離婚する夫婦というものは、1時の欲情だけで、無責任に子供を作った人達」と言うライターさんにとっては、非難の対象として映るということになる。
ここには、離婚する夫婦の個々の精緻な、微妙な「事情」と言うものが考慮されないか、蔑ろにされる可能性を多く含んでいるということになる。
つまりそういう意味で、彼は自分の中で、自分の経験論的解答から導き出した解答として、離婚する夫婦というものを、無意識に「差別」していることになるのである。
>息子の友人には母子家庭も多いが
>我が家に遊びにくる子ども達はいたって普通の子ども達だ・・・
>だから、私は『片親』と後ろ指差すつもりはまったく無い。
当たり前なのである。
「後ろ指を指さない」ということは、何もライターさんを賞賛する根拠にならない。ここを言い訳として使うのではなく、唐突にこういう言葉が出てくること事態に、社会というものに対するライターさんの認識の「ゆがみ」を感じてしまう。
つまり、「世間一般は、「片親」と言うことで後ろ指を指す」と言う常識が存在すると、ライターさんは肯定的に考えていると言うことが伺われるという意味で、「差別的」である。
>つまり、自分の判断力と忍耐力を棚にあげて差別と言うな・・・
>離婚は自己責任!!!
離婚は自己責任は当たり前である。
そこに、判断力の有無とか、忍耐力の有無とかは無関係だ。まして、離婚する人を差別的に見るという現状認識があると考えることこそが、差別的であるということに気がついていない。
・・日常生活に、個々の責任として、堪え難い状況が存在し、自己責任で離婚する夫婦間の決断に対して、何ものも介入する権利はないはずだ。
いかにも離婚の原因が、判断力と忍耐力の欠如から導かれたものであると言いたげな、そういう独善的で、一般化画一化された「枠にはめられた離婚のタイプ」を見る様な視線の中で、個々の事情を無視した中での判断は、その当事者として、個々の人間としての多様性の可能性を考慮されにくいという意味で、充分に「差別的」なのである。
以上、上記のことに対して、ライターさんは、自信を持って,正しいこととして、書いている訳であるが、これが実はこれを読んだり言われてしまった弱者にとっては、非常に差別的な、「社会的な縛り」と言う効果を含んでいて、個人の判断を鈍らせ、躊躇させる監視の目となっているということに気がついていないという意味で、問題は深刻なのだ。
・・・・こういうことは実は何度も書いているのだけど、書いてもわからないのだろうね?
>一昔前までは子は鎹と言って
>子がいれば離婚をする夫婦は少なかったものだ・・・
>是非はともかく、保守的な私としてはなるほどと思っている。
ここに存在する一昔前の家庭像の中には、一口で言えば、「子供のために犠牲になっている夫婦」も含まれているのである。
それらの問題のある夫婦関係さえをも、美談(もしくは、歴史的既成事実)として普遍化し、「全体に」当てはめて強要するということである。
「子供が本当にかわいいのならば、普通は「別れる」なんて言うことを言わないモノである。」・・という高いハードルを敷くことによって、個人の本来自由であるべき選択を制限しているのである。
「子はかすがい」と言うある意味の歴史的強制を持ちだしてくることによって、例えばここに存在するかもしれない夫婦間の個々の問題を一般化して、本当に救済されるべき窮地に置かれているかも知れない「弱者」に対して、それ以上の「我慢」を強いていることに繋がる可能性も存在することに考えが行かなければ、それは、単なる無意識による「弱い者いじめ」以外の何ものでもない。
>私の周りの『離婚経験者』を見る限り・・・
>一時の欲情だけで無責任に子どもを作った者が離婚しているな・・・
「一時の欲情だけで無責任に子どもを作った者が離婚している」
これを裏返せば、「純粋の愛情があった者同士は、離婚しない」と自分の狭い経験論的価値観から導き出されたライターさんの考え方としては、そういう解答が出されているということである。
つまりライターさんの目から見えるものは、「離婚する夫婦というものは、1時の欲情だけで、無責任に子供を作った人達」と言うライターさんにとっては、非難の対象として映るということになる。
ここには、離婚する夫婦の個々の精緻な、微妙な「事情」と言うものが考慮されないか、蔑ろにされる可能性を多く含んでいるということになる。
つまりそういう意味で、彼は自分の中で、自分の経験論的解答から導き出した解答として、離婚する夫婦というものを、無意識に「差別」していることになるのである。
>息子の友人には母子家庭も多いが
>我が家に遊びにくる子ども達はいたって普通の子ども達だ・・・
>だから、私は『片親』と後ろ指差すつもりはまったく無い。
当たり前なのである。
「後ろ指を指さない」ということは、何もライターさんを賞賛する根拠にならない。ここを言い訳として使うのではなく、唐突にこういう言葉が出てくること事態に、社会というものに対するライターさんの認識の「ゆがみ」を感じてしまう。
つまり、「世間一般は、「片親」と言うことで後ろ指を指す」と言う常識が存在すると、ライターさんは肯定的に考えていると言うことが伺われるという意味で、「差別的」である。
>つまり、自分の判断力と忍耐力を棚にあげて差別と言うな・・・
>離婚は自己責任!!!
離婚は自己責任は当たり前である。
そこに、判断力の有無とか、忍耐力の有無とかは無関係だ。まして、離婚する人を差別的に見るという現状認識があると考えることこそが、差別的であるということに気がついていない。
・・日常生活に、個々の責任として、堪え難い状況が存在し、自己責任で離婚する夫婦間の決断に対して、何ものも介入する権利はないはずだ。
いかにも離婚の原因が、判断力と忍耐力の欠如から導かれたものであると言いたげな、そういう独善的で、一般化画一化された「枠にはめられた離婚のタイプ」を見る様な視線の中で、個々の事情を無視した中での判断は、その当事者として、個々の人間としての多様性の可能性を考慮されにくいという意味で、充分に「差別的」なのである。
以上、上記のことに対して、ライターさんは、自信を持って,正しいこととして、書いている訳であるが、これが実はこれを読んだり言われてしまった弱者にとっては、非常に差別的な、「社会的な縛り」と言う効果を含んでいて、個人の判断を鈍らせ、躊躇させる監視の目となっているということに気がついていないという意味で、問題は深刻なのだ。
・・・・こういうことは実は何度も書いているのだけど、書いてもわからないのだろうね?
これは メッセージ 42511 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
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