自己責任論は醜悪である 2
投稿者: syoumenkyousi 投稿日時: 2004/04/23 09:33 投稿番号: [37567 / 118550]
かつて1982年、イギリスのサッチャー首相の息子がパリ・ダカールラリーで行方不明になるという事件が起こったとき、サッチャー首相は、ためらうことなくイギリス軍に捜索命令を出し、約一週間の間、自分の子息の救出作戦にあたらせた。子息が発見されたとき、与党からも野党からも、そして国民からも、救出にかかった費用を弁済せよ、などという要求が出されることはなかった。なぜなら、国家は、国民に対して無条件に救出の義務を負うからである。
だが、なぜ日本政府の要人たちは、「迷惑をかけたのに反省がない」とか、「費用を一部自己負担させるべきだ」などと言うのか? 国家の基本的な義務についてあまりに無知なのだろうか? もちろんそうでもあろう。だが、最大の理由は、人質になった彼らが、もともと自衛隊派遣に反対する立場を表明している人たちだったからにほかなるまい。
「俺たちの政策に反対している連中を、なぜ苦労して助けなくてはならないのか」という底意が、見え見えである。それが政府関係者の本音なのだ。なんと品格に欠けた、狭量な人たちだろうか。それが子供じみた嫌がらせと同じだということが、彼らには分からないのだ。もちろん、彼らは、彼らがしたことが、実のところは、かえって人質になっていた方たちを危険にさらす振る舞いであったということに気づこうとしない。
イラク人を攻撃している当事国の政権内部にいる政治家、自衛隊派遣を歓迎する立場にあるパウエル氏でさえ、「危険を知りながら良い目的のためにイラクに入る市民がいることを日本人は誇りに思うべきだ。もし人質になったとしても、『危険をおかしてしまったあなたがたの過ちだ』などと言うべきではない」と言っている。彼と我、この落差に日本の政治家はあまりにも無感覚らしい。
そして今や、愚かな政治家たちに誘導されたのか、傷つけられたイラクの人々に連帯の意志をもち、自らの発意で支援に出かけた人たちに、次のような言葉を投げかけるのが、この国の流行になっている。
「自分の責任で行ったのだから、死んでも文句は言えない」
「世間に迷惑をかけたのだから、偉そうなことを言わず、黙ってろ」
「他人様に尻ぬぐいさせるようなことをして、恥を知れ」
「かかった費用は彼らとその家族に負担させよ」
こうしたセリフを投げつける人たちは、どこにいるのか。どのような場から、「自業自得だ」などと言うのか。人々は、たとえばビールを飲みながら、ソファに寝転がり、テレビの画像を眺めつつ、「人騒がせな連中だ」と文句をつけているのか? このように言う人たちは、何に価値をおいているのか? 「危険だと分かっている場所に出かけたのは自分の責任だ」と嘯くことが、どんなに「無責任」な態度であるか、気づかないのか?
もちろん、ソファに寝転がることは何も悪いことではない。ソファがあるのにわざわざ床に正座するような「苦行」には、なんの益もないだろう。だが、ソファに寝転がっているとき、私たちは常に、今自分がソファの上にいるという、まさにそのことによって、はたして視野が局限されていないかどうか、時折は振り返ってみたいものだ。
自衛隊が派遣されるずっと以前から、高遠菜穂子さんは、戦争のために両親を失ってしまったストリートチルドレンを支援し続けていた。イラクの子どもたちは、高遠さんを「マザー」と呼び、いつも彼女の写真を持ち歩いている。彼女に抱きしめられると、父も母も亡くした子どもたちは、ほんとうにうれしそうに笑っている。両親を殺され、うちのめされているというのに、なぜ子どもたちは笑うのか。遠く東アジアからやってきたナホコという名の女性に、抱きしめられたからなのだ。
彼女の活動は、しかし、ある時点から危険な、困難なものになった。自衛隊が、アメリカを中心とする占領軍に協力するために派遣されたからである。当初から、自衛隊派遣によって、NGOなどの民間の支援が危険に陥れられるということが分かり切っていた。そのために、ナホコに会いたがっているイラクの子どもたちを、高遠さんは見捨てなくてはならないのだろうか? 自分の命を惜しんでか?
だが、なぜ日本政府の要人たちは、「迷惑をかけたのに反省がない」とか、「費用を一部自己負担させるべきだ」などと言うのか? 国家の基本的な義務についてあまりに無知なのだろうか? もちろんそうでもあろう。だが、最大の理由は、人質になった彼らが、もともと自衛隊派遣に反対する立場を表明している人たちだったからにほかなるまい。
「俺たちの政策に反対している連中を、なぜ苦労して助けなくてはならないのか」という底意が、見え見えである。それが政府関係者の本音なのだ。なんと品格に欠けた、狭量な人たちだろうか。それが子供じみた嫌がらせと同じだということが、彼らには分からないのだ。もちろん、彼らは、彼らがしたことが、実のところは、かえって人質になっていた方たちを危険にさらす振る舞いであったということに気づこうとしない。
イラク人を攻撃している当事国の政権内部にいる政治家、自衛隊派遣を歓迎する立場にあるパウエル氏でさえ、「危険を知りながら良い目的のためにイラクに入る市民がいることを日本人は誇りに思うべきだ。もし人質になったとしても、『危険をおかしてしまったあなたがたの過ちだ』などと言うべきではない」と言っている。彼と我、この落差に日本の政治家はあまりにも無感覚らしい。
そして今や、愚かな政治家たちに誘導されたのか、傷つけられたイラクの人々に連帯の意志をもち、自らの発意で支援に出かけた人たちに、次のような言葉を投げかけるのが、この国の流行になっている。
「自分の責任で行ったのだから、死んでも文句は言えない」
「世間に迷惑をかけたのだから、偉そうなことを言わず、黙ってろ」
「他人様に尻ぬぐいさせるようなことをして、恥を知れ」
「かかった費用は彼らとその家族に負担させよ」
こうしたセリフを投げつける人たちは、どこにいるのか。どのような場から、「自業自得だ」などと言うのか。人々は、たとえばビールを飲みながら、ソファに寝転がり、テレビの画像を眺めつつ、「人騒がせな連中だ」と文句をつけているのか? このように言う人たちは、何に価値をおいているのか? 「危険だと分かっている場所に出かけたのは自分の責任だ」と嘯くことが、どんなに「無責任」な態度であるか、気づかないのか?
もちろん、ソファに寝転がることは何も悪いことではない。ソファがあるのにわざわざ床に正座するような「苦行」には、なんの益もないだろう。だが、ソファに寝転がっているとき、私たちは常に、今自分がソファの上にいるという、まさにそのことによって、はたして視野が局限されていないかどうか、時折は振り返ってみたいものだ。
自衛隊が派遣されるずっと以前から、高遠菜穂子さんは、戦争のために両親を失ってしまったストリートチルドレンを支援し続けていた。イラクの子どもたちは、高遠さんを「マザー」と呼び、いつも彼女の写真を持ち歩いている。彼女に抱きしめられると、父も母も亡くした子どもたちは、ほんとうにうれしそうに笑っている。両親を殺され、うちのめされているというのに、なぜ子どもたちは笑うのか。遠く東アジアからやってきたナホコという名の女性に、抱きしめられたからなのだ。
彼女の活動は、しかし、ある時点から危険な、困難なものになった。自衛隊が、アメリカを中心とする占領軍に協力するために派遣されたからである。当初から、自衛隊派遣によって、NGOなどの民間の支援が危険に陥れられるということが分かり切っていた。そのために、ナホコに会いたがっているイラクの子どもたちを、高遠さんは見捨てなくてはならないのだろうか? 自分の命を惜しんでか?
これは メッセージ 37566 (syoumenkyousi さん)への返信です.
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